「らしさ」を拒否する

 めちゃくちゃすてきなnoteを読んだのに、私が書くのはこういうものという残念さを感じつつ。

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 かわいくなくても、きれいでなくても、女らしくなくても、自分の性別は女だと自認している。スカートをはかなくても、化粧をしなくても、女っぽい髪型をしていなくとも、私は女だ。しかも太っているとはいえ、おっぱいは大きいし、お尻も大きいのでめちゃくちゃくびれていてまるでコントラバスのよう。外側はともかく肉体は明らかに女。
 見た目がどうであれ、というか性別なんて必要なくないか?

 ジェンダーだ、セクシャリティだと言うけれど、いまだに「男らしく」「女らしく」という言葉が若者からも発せられる。「男らしく」「女らしく」見せようとする人も多い。
 見た目で性別をわからせようとするのはなぜだろう。生殖の本能のなせる技なのか。
 年齢的にも身体的にも生殖不能の私でさえ、おっぱいが見えそうな服を着る。子どもの頃から結婚も子どもも不要と思ってきたけれど、生物としての本能には抗えないのかもしれない。どこかで「性別:女」をアピールし、生殖相手を見つけたいのか、生殖可能だと思われたいのか。

 でも私の意識は言う。「女らしさを拒否する」と。「らしく」なくとも私は女であり、「らしい」から女なわけではない。「らしい」とひと括りにして言葉を端折らずに、丁寧に表現したらいいのにね。

 

 

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