見出し画像

失敗だらけの人間による対話入門

いわゆる対話は様々な方法がある。頭にすぐに思い浮かぶのは言葉による対話であるが、言外の対話もとても大きな作用を及ぼす。言葉によるものについて扱う。特に断りのない場合、対話とはそれをさすことにする。特に能動的な対話について言及する。

この文書の結論

ちょっと黙ってみよう。

能動的と受動的

行動には能動的行動と受動的行動がある。能動的行動は、意志を持って行うもの、受動的行動は勝手に行ってしまうものとここで定義しておく。

この節で言いたいのは、対話における能動的行動とは発言にあらずということである。

対話において能動的なものというと、発言することを思い浮かべると思うが、発言にも種類がある。考えて行うモノ、勝手に出てくるモノ。上で能動的行動は、意志を持って行うと定義したが、これに従うと、考えて行うモノが能動的にあたり、勝手に出てくるモノが受動的にあたる。そして、ここが重要であるが、"言葉を発しないこと"が能動的行動となる場合がある。勝手に出てくるものをそのまま垂れ流すことが受動的で、それを意思を持って押しとどめることが能動的なのである。

受動的対話は悪手

これをあの時言わないほうがよかったなとか、これをあの時言っておくべきだったなとか、後で振り返って悶々とすることは皆さんにもあるだろうとおもう。私は毎日がそれで満ち溢れている。
対話の中で考え抜いてその結果失敗した場合はそれ以上悩んでも仕方ないのであるが、この失敗が大体の場合考えなしの受動的行動によって引き起こされていることが多い。特に対話の下手な人間においてそれが顕著であると私は思っている。いうべき言葉、うまいこと言う必要があるように見えるし、実際たぶんそうなのでそれを適切なタイミングで外に出すことはとても難しい。一方勝手に出てきてしまうものを押しとどめることは比較的簡単にできる。

無意識的に内容が編纂される受動的発言は、発言者の深層にある知識や習慣を多分に含みその人について理解を深めるためにとても有用なものであるが、対話が主ではなく副となる場合が多いため対話の中身とはずれた発言のように見える場合が多い。よほどのことがない限り受動的発言によって相手に伝わる情報は0、つまりすべてがただのノイズとして対話を阻害することになる。

あらゆる物事は、単純で簡単なことから始めよう。ただ思ったことを押しとどめるだけである。

関係のない話をしてはいけない

ここでいう関係のない話とは、話題の中身から連想されるもの以外のモノの話ではない。相手に関係のない話のことである。齟齬があるかもしれないが、相手の興味のある話と言い換えても良いかもしれない。齟齬があると表現したのは、その話は話の内容で興味のあるなしが決まるのではなくその時点での相手との関係性や語調、気分、性格、気力、体力、その他さまざまな不確定で予測の難しい要因で決まる。

創作や趣味性の強い活動(車とかゲームとか)をしている人は、その物事に興味があり、その物事に関連する発言はその人との対話において関係のある話に一見みえるが、上の段落で言及したとおり、何らかの発言が関係のある話として成立するには非常に複雑な条件が折り重なっており「あ、これはあれだな!わかったぞ!」となった場合以外は大体不正解である。私の場合は「あ、これはあれだな!わかったぞ!」となった場合も不正解なことが多い。アドバイスがほしい/いらない、共感がほしい/いらない、あなたの経験を聞かせてほしい/いらない、称賛が欲しい/いらない、興味を持ってもらいたい/いらない、議論をしたい/したくない、それらを適切に把握した先にある発言こそ、関係のある話となるのである。

沈黙!! それが正しい答えなんだ -ハンターハンターより

そして、話題から連想されるものではない話も、関係のある話として、成立する。これは上級編なのでこの文書の範囲外とする。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?