絶対と相対

自分を中心にしてすべての物事を見て、自分を通してのみ理解することができるのは、必ずしも自分に閉じこもっているわけではなく、どの層に立ち、意識がどこまで広がっているかによって、地上に閉塞していることもあれば、地上から見れば解放されているようにも見えるものです。解放されているように見える層にも飽きれば、やはりより高く広い視野へと向上したくなるはずです。

この世界の閉塞性とは、主客を維持し、あれとこれを組み合わせたり比較したりできるためのもので、組み合わせによっては元々の色も形も変わったりして、意味そのものが変化します。つまり意味を与えることができます。意味を与え、命を与えることが、この世界の創造行為でもあります。

絶対の意味というのは、恒星にたどり着けば得られるわけではなく、自分の内側(胸)から絶対を見出すもので、つまり恒星にたどり着いたと誰に聞かなくてもわかり、むしろ辿り着いたというより、恒星が自分に浸透したと言えるようなものです。自分に対する素直さが大事なのは、胸が絶対を見出すからで、これはどの層に立っていたとしても同じです。一つ上の層に上がれば、絶対だったものは相対性によって形を失いますが、それは恐れるようなことではありません。

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