夢という激流

エーテル領域は川の激流のようなもので、意図を持ち、意志を突き刺さなければ、流され、流れてゆくものをただ見るだけになります。ぼんやり浮かび上がる藻を掴むように夢の印象が生まれ、これが何なのかわからずただ見つめ、また流されていきます。意図を持つことで、激流に杭を打ち込み、任意に流れを生み出すことができます。エーテル領域で意図を持つことは、夢の中で自由に動けるということで、この自由というのは、起きているときに自由だと思い込んでいる言動とは全く異なります。起きているときに自由に考え自由に感じていると思っているものは、大抵の場合、癖と呼べるものが反応しているに過ぎません。

本音を押し込めず、本当の自分を生きていくうちに、エーテル体の自分である本質的自己に主体が移り、心が先にあり、エーテル体が先にあるというのが当たり前になり、エーテル体で意志を持つことができるようになります。これが死後の自由に繋がります。

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