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「顔のわりに」ということば

「田中さんはさ、それってトクしてるの? ソンしてるの?」

少し前、バトンズ社長の古賀さんにそう問われた。

デスクの上の本が雪崩を起こしたときだったか、なにかを紛失したときだったか、なにかに「やばいやばい」と騒いでいるときだったか忘れたけれど、呆れたようにしみじみとそう問われた。

「それ」とはなにか。

顔のわりに、しっかりしていないことだ。

これは以前も書いた気がするけれど、わたしはまじめ顔だ。しっかり顔だ。優等生顔だ。初対面ではかなり「ちゃんとした人」に見えるらしい。たぶん古賀さんも、そう思っていたはずだ。

しかし皮膚をぺりぺりと剥いでみると……さまざまな能力が、あきらかに平均より劣っている。

たとえば、こまごまとした事務作業が驚くほど苦手。現にいま引っ越し準備まっただ中のオフィス、たったふたりの会社でなんの戦力にもなれずにいる。「あ、なにかやることはないかな」と思ったときには大体のことが済んでいた(済んだのかな)。

注意力散漫だし、すべきことをすぐ忘れる。めんどうくさがりで、計画的とはとても言えない。不器用で生活能力が低い。服にシミがつき、「クリーニングに出さなきゃ」と玄関先にうっちゃり、そのまま頭から抜けて放置してしまうタイプというか……。

優等生顔で期待値が高まりがちなくせに、ちゃんとできなさすぎるのだ。

「もう、しっかり見えて抜けてるんだから、可愛いなあ」

……などと社会が思ってくれるはずもないだろう。古賀さんの問いには0.1秒で「圧倒的にソンだと思います」と答えた。

◆  ◆  ◆

顔のわりに、と言えば。

Mr.Childrenの『Over』という曲(ひとつの恋が終わろうとしている男性の心境を歌った名曲)に、「顔のわりに小さな胸」という非常にユニークかつ有名な歌詞がある。

今となれば 顔のわりに小さな胸や 
少し鼻にかかるその声も
数え上げりゃきりが ないんだよ
愛してたのに 心変わりを責めても空しくて

「顔の割に小さい胸とはなんぞや」と小さな議論を巻き起こし続けているこの歌詞、わたしはとても好きだ。

好きというか、おそらく彼女は「グラマー系美女っぽい顔なのに貧乳」なんだろうけれど、そんなふうに自分の知らないところでくさされていることに共感してしまうのだ。

あなたも、勝手に期待されて勝手にガッカリされてたの。「あれ?」って思われたの。理不尽だよねえ。失礼だよねえ。ソンだよねえって。


……でも、『Over』の彼女は、ただソンをしているわけじゃない。

そもそも「顔のわりに小さな胸」は愛してたポイントとして挙げられているし、「今以上綺麗になってないで」という歌詞があるように、(おそらくウィーク)ポイントも彼にとってはたまらなく魅力的だったんだろう。
「顔のとおり大きな胸」をストレートに称えられるより、なんだか深い愛情を感じてしまう。

顔や見た目、たたずまいから思い描いていたイメージや期待とはちょっと違った。はじめは少し残念に思わなかったといえばウソになる。
だけどいまは、それがいいんだと腹の底から思える。革製品が手になじんでいくように、どんどん味わい深い関係になっていく。

——それって素敵だなあ、と思う。


残念ながら、「顔のわりにしっかりしていない」をポジティブに捉えてもらうのは難易度が高いかもしれないけども。

「しょうがないよね」とサポートしてくれる夫、そして嫌みのひとつもこぼさない古賀さん、周りのひとたちに感謝しながら、わたしは明日も優等生顔で生きていくのだ。

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