人生がいろいろすぎて気が遠くなる

ひょんなことからひとの半生をのぞき見し、その人生や家族の在り方の多様さに気が遠くなることがある。昨日もそんな日だった。

出張帰り。

羽田から渋谷駅に移動すると、どんよりとした空から大粒の雨が落ちていた。文字どおり抜けるような青空だった大分からのギャップに、うへえと声が漏れる。新調したばかりのお気に入りの靴を濡らしたくもなく、タクシー乗り場に歩いた。

10組ほどの列の最後尾に並ぶ。退勤ラッシュと重なったせいか、なかなかタクシーは来ない。重たい荷物に肩が外れそうになったころようやく来た白い車の、会社も確かめずに滑り込んだ。

「大変な天気ですねえ」

少し訛りのある発音で、そう声をかけられる。あ、「しゃべるタイプ」の運転手さんだな。ちょっとメール返したいんだけどなと思いながら「そうですね、暑いくらいの大分から来たのでびっくりです」と答える。

「そうですかあ、大分ですかあ。……私は宮崎出身でね」

ああーその訛りか。合点しつつ、わたしは鹿児島なんですよと返す。すると彼は「へえ、鹿児島ですか!」と声を弾ませた。

「宮崎っていっても都城(みやこのじょう)なんで。ほとんど鹿児島みたいなもんですわ」

宮崎のひとが聞いたら怒りそうですねと笑う。もう東京は長いんですか。

「30年になりますねえ。はじめは3〜4年、家族のために出稼ぎしようと思って出てきたんだけど、気づけば30年になってしまって」

——そうして教えてくれた彼の半生は、ちょっとはじめて聞くタイプのものだった。

◆ ◆ ◆

大阪万博(1970年)のころは大阪でタクシーに乗っていたんです。そのあと都城に戻って、お見合い。見合いから1週間後には親族で式を挙げてましたね。笑っちゃうでしょ。

その後、子どもが5人——女の子3人と男の子2人できたんですけど。7人家族を支えるだけのもらいがある仕事、都城にはないでしょ。それで東京で働いて、仕送りすることにして。結婚……たしか15年目で、末っ子の男児が年少くらいのときだったかな。

東京でタクシーに乗ってさ、奥さんと5人の子どもたちのために送金するうちに30年経ってて。子どもはほとんど合わないうちに成人しました。

印象深いのは次女。高校の同級生と結婚する、できなきゃ自殺するなんて騒いで、周りの反対を押し切って結婚したわけ。でも、相手はほとんど働かないし粗暴だしですぐに離婚してさ。勢いありすぎるのも問題ですよ。

男2人はそれぞれ名古屋と地元に家を建てた、らしい。行ったことないんですけど。年少だった末っ子も、いまや3児の父で。孫、会ったことないんですけど。「おじいちゃん」なんて呼ばれたくないしね、まだまだじじいじゃねえって。

ここ8年は地元に帰ってない。家族が東京に来たのも2〜3回かな。なんか次女と奥さんがフィギュアスケートの大会を見るとかで、代々木に来たから1度会ったのは覚えてますけど。

ひとり暮らしが楽ですねえ。このまま東京で暮らしていたい。結婚したことは……後悔してますね。ひとりだったら、もっと自由気ままに暮らせてただろうなあって。子どもはさ、生んだら育てなきゃいけないから。

◆ ◆ ◆

タクシーを降りると、夢を見ていたような気分だった。自分が考えたこともないような人生。大阪万博から、2018年の雨の渋谷までの彼の人生。タクシーに乗り続けた彼の人生。

結婚したことを後悔している。そのひと言は、ずっしりと響いた。でも彼は家族と別れなかったし、責任を放棄することもなかった。「子どもを育てなきゃ」「妻を養わなきゃ」という思いから逃げることなく、すべきことを淡々と続けた。6人分の生活費は、月々いくらだったんだろう?

子どもや孫が可愛い、会いたい、という感覚もとくにない。「まだまだおじいちゃんなんて呼ばれたくない」と言う、明らかに老人である彼は、「ふつう」や「一般的」な父・祖父ではないかもしれない。

もっと言ってしまえば、メディアに取り上げられるようなきらきら輝く人生でも、ひとが羨むような人生でもないかもしれない。

それでも、彼は不幸そうではなくて。いや、そりゃほんとのところはわからないけど、タクシーに乗り込んだときの、

「ご乗車ありがとうございます」
「スカート、挟まないように気をつけてくださいね」
「閉めますね、大丈夫ですか?」

といった声かけや笑顔の中に、少なくとも渋々仕事をしている感じはなかったから(わたしに不機嫌をぶつけないでくれよ、と思う運転手さんも少なくないなかで)。

これがいい人生、なんてない。これがダメな人生、というものもない。時代ごとに「なんとなく王道」の生き方はあるかもしれないけど、それが正解ではない。ほんとうに人生はケースバイケースというか、「それぞれ」で、少なくとも他人が成功だとか失敗だとか決めるものではない。


週末、地元の友達と遊んだら、義実家問題で産後すぐに離婚していた。大分でしゃべった喫茶店のマスターは、ひょんなことから出版社をはじめた。彼の知り合いのイラストレーターは、別府のフリマで出会ったフランス人と結婚してフランスに移住したらしい。

人生の多様さに、気が遠くなる。そして同時に、自分の人生に対しても労いたいような、愛しいような気持ちになるのだ。

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田中裕子

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