雑記|いつも高い所から低い所に流れていく

冬が好きだ。
呼吸が心地よい。
寂しい感じが当たり前のようになるのも、寒い公園で飲むアイスコーヒーも好きだ。
1人で鍋を永遠に作って食べる。金もかからない。
ひたすら歩く季節。
目的と手段が一致する季節。

動画編集に慣れてきた。
どのコンテンツや芸のジャンルでも通用する技術や方程式、自分の感覚。そう言うものに頼る。
あまり、旬なモノを好きになれない。
残らないものは作りたくない。
それはつまり、誰かに覚えていて欲しいという欲求なのだろうか。もしくは、未来の誰かに届いて欲しいと言う事だろうか。

漫画を読む、ゲームをする。
その余裕が出て来た。
時間というより必要だと思える、許せるようになってきた。
アウトプットしたいなら、同じだけ吸って吐いてしなくてはならない。
私があるから他者がある。
他者があるから私がある。
私を満たしておかないと、人のために何もできない。人のために何かをしないと、私は私を満たせない。

バレないようにため息をつく。
バレてもいいから大声を出す。

自分の夢。
誰かの夢。
混ざり合う。
誰かの夢をフォローするためには、自分も太くなる必要がある。

負ける事が次の勝利への布石となるなんてのは当たり前のことで、トーナメントをしているのか、ペナントレースをしているのか、を、把握することはとても大事だ。生活や人生を豊かにすることがエンターテイメントをより軽やかに和やかに滑らかにに朗らかにするんだと思うんです。豊かさと貧困。その落差を捉える必要がある。

資本主義に包まれてるんだからお金が必要だ。
芸にとらわれているのだから、その呪いを生かさなきゃ。

芸人とは何なのか。
自分とは何なのか。
そんなことより目の前の事。
芸事によって、気づいた能力が、その能力自体によってして、芸事を否定する場合もあるだろう。
自分を知る事で、今の自分の居場所から離れることなんてのは当たり前で、むしろ、その繰り返しが健全なのかも知れない。

時は流れる。
時とは何だろうか。
季節の変化や太陽と月、地球の自転。
それだけだろうか?
子供の頃、授業でプールの中を時計回りに皆でぐるぐるぐるぐる回るやつ、通称洗濯機が好きだった。水流が生まれて流される。自分達の動きによって、水流が生まれる。とんでもない量の水を子供達が水の中を歩くだけで抗えないほどの流れが生まれる。
時もそういうモノだと思う。
人間だけでなくら全ての生けとし生けるモノの流れが時流を生む。それにひたすら流されている。逆に言えば、この私の動きも流れを変える起因になりうる。時とは少なからず自分の中にもある。

心にも身体にも囚われず
空っぽで流されてたどり着く。
それぐらいでいい。
座標ばかり気にしていると、どうにかなりそうだ。
せめて暖かいものを食べたい。
それなりの仕事と少しの無駄を大事にしたいので、今日はここまで。