【自由律俳句・かき氷】味確かめようと花火にかざす
軽トラ助手席に木スプーン婆
コンビニの駐車場に停まっている軽トラ。
もう暑さ感覚がないのか、密閉状態でお婆さんが乗っている。お爺さんの用事が済むのを待っているのだろうか。せめて窓を開ければと心配になる。
それでも手に木製スプーンを持っているのが見えて少し安心する。あれはきっとレモンの輪切りがのった「サクレ」を食べているに違いない。あの婆さんも夏を感じている。暑い車内でかき氷が楽しみなのかもしれない。
味確かめようと花火にかざす
夏祭りに子どもの分も合わせて複数個かき氷を買う。
人混みを避けて、祭りのメイン会場から少し離れた場所で食べようと移動すると思いの外暗い。
どれがどの味かが見えない。その時花火がどんと上がる。その花火が弾けた瞬間にかき氷を空にかざせば色が見えるのではないか。見えても見えなくても良い。スマホライトでかざすよりも風流な方法を選べる、そんな実用的ではない人間になりたい。
それは次の店で話そう
かき氷は、他のスイーツとは少し違う。
制限時間が決まっている。食べ手が子どもであろうと、老婆であろうと溶ける時間が変わることはない。
そこでセンシティブな話題を振られても困る。どう答えて良いのか悩んでいるうちにかき氷は溶けてしまう。とても思い悩んでいるのかもしれない。でも、ここはかき氷に専念しよう。もう一軒行けば良いではないか。
食べたのか飲んだのか腹が悩む
もはやかき氷は食後のデザート感覚ではない。1,800円とかするものもあり、ランチ代を簡単に超えることだってある。
チョコやミルクティー味だったり、クリームがのっていたり。モンブランかき氷とかも出てくる始末だ。それでも食べ終わりはまぁ液体である。払った金額もあいまってしっかり食べたような感覚に陥るが、腹はいや飲んだだけだと訴えかけてくる。腹が時代に追いつくのはまだ先になりそうだ。
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