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【ショートショート】涎鶏

「自分はこんなところに居て良いのだろうか。」

銭湯の湯船に身を沈めていると、気づけばそう考えている。体を湯に差し込んだ時に感じる心地よい融解感が、時を経ずして負の感情に置き換わっていることに驚愕する。何の取り柄も社会にもたらす価値もない自分が快感を味わってはいけないという潜在的な感情が温泉成分と化学反応を起こした結果かもしれない。ぬるま湯に浸かっていてはいけないと湯船を飛び出す。家風呂のように自分の体積分の水位の変化が読み取れないのが、今日は何故か切ない。濡れた手拭いで体の水分を均し、だらしなく尻皮の垂れ下がった老人の退出を待ってサウナに入った。

サウナブームが到来しているが、私はサウナが苦手だ。不自然に熱された空間に様々な人種が集い、大汗を流すという行為を異質に感じる。その意味もよくわからない。サウナマットが準備されているものの、床には自分とは違う思考の人間が流した汗が染み込んでいる。その汗はどこに向かうのか。濡れた床を踏み締めるたびに学生時代に入っていたサッカー部の試合のハーフタイムに、顧問に檄を飛ばされながらスポーツドリンクを回し飲みした光景がフラッシュバックする。蒸発した他人の汗を呼吸の度に体内に取り込んでいると思うと空恐ろしく感じ、胃の奥から込み上げてくるものがある。サウナに若者が増えた今、サウナ内の蒸気が妙な瑞々しさを孕み、より肌にまとわりつくような不快感がある。

それでも私がサウナに入るのは、湯船に入って得た「自分はこんなところに居ても良いのか」という感情を肯定するためだ。自分は快感を得るべき存在ではないと自分に知らしめるための一種の自傷行為としてサウナに入るのだ。自分でも異常だと思う。あえて湯に浸かって快感を与え、助走をつけてより深く否定する。その動線がサウナは綺麗なのだ。何故こんなことになってしまったのかは謎だが、きっと何もないからこうなってしまった。特段辛いことがなくても突発的にサウナに行かなければという感情が湧き上がり、抑えきれなくなる。今日も仕事を早退して銭湯に来た。

そのスパンは、1週間に1度から、5日に1度、3日に1度と短くなった。職場の飲み会などで何か趣味はあるのかと尋ねられると「レトロな雰囲気が好きで、昔ながらの銭湯やサウナを巡っています」と淀みなく答える。アリバイ作りのために暖簾がかかる入り口の写真も撮影し、インスタグラムに上げている。気が付けばフォロワーが1万人を超え、サウナ界隈のマイクロインフルエンサーになってしまった。今日も家に帰って、あえて不健康そうなものをと選んで買ってきたカップラーメンとピザポテトを食べながら、暖簾の写真をアップロードし、銭湯の詳細情報を記載し、投稿する。砕けたピザポテトがラーメン汁をつなぎにして再度まとまり、奥歯に挟まっている。歯を磨いたが、より奥へ押し込んでしまったような違和感がある。どうでもいいと吐き捨ててソファに横になる。またうまくいかなかった。問題を解決しきらない自分に辟易しそうになるがこれでいいのだ。


しとしとと途切れることのない連続音と雨のにおいがわずかな窓の隙間から侵入してきて、目が覚める。
ソファで寝てしまったからか全身が痛い。昨日のピザポテトはまだあるかと奥歯を舌でなぞると、昨夜あれほど取れなかったのが嘘のようにぽろんと外れる感覚があった。こんな風に時間が解決してくれることもあるのだろうか。吐き出してしまおうと思ったが、一夜を共にした情なのか、逡巡した末にもはや汚塊でしかないそれを数回咀嚼して飲み込んだ。

普段は6時半に起きるが、この日はまだ4時半だった。心に平穏が訪れるのではと僅かな期待を込めて買った鉢植えのガジュマルに霧吹きで水をやる。鉢から飛び出した根のダイナミックさに惹かれて購入したが、失敗だった。こじんまりとした自分には似合わない。朝起きるたびに、帰宅するたびに、ガジュマルが目に入るたびに自分のちっぽけさを突きつけられているような心地がする。それでも処分することはできず、ガジュマルの奴隷になる。どんどん自分の家にも居場所がないような気がする。

スーパーから買ってきたそのままの姿で雑に冷凍した4枚切りの食パンは、一斤に戻ることを望んでいるかのように全てが連結しているが、もう歪な曲線を描いてしまっていて、元通りにはなれない。無理矢理引き剥がし、霜をつけたままトースターに放り込む。チーズをのせたり、バターを塗ったりおいしく食べようとする行為に嫌気がさして何もつけずに素のまま食べた。

見間違いだったのだろうか。4時半だった時計が、今はもう7時半だ。もう出なければ遅刻してしまう。スラックスに履き替え、クリーニングに出したばかりのシャツを取り出す。ホッチキスで留められたタグが煩わしい。焦って引きちぎると勢い余って親指に刺さる。赤い小さな点が徐々に広がり、乾いた水路に水が通うように指紋に沿って血が流れていく。痛みは感じない。他人事のようにその流れをじっと見つめていた。


気がつけば職場に体調が優れない旨を連絡し、サウナに来ていた。休むことが増えた私を心配して連絡をくれる人もいたが、大丈夫ですと答えるとそれ以上声をかけてくる人はいなかった。建前で声をかけただけで、本当はどうだって良いのだろう。残りの有休残日数は1日。私のライフポイントのようにも思えた。

昔ながらの銭湯はまだ開いていないので、都会にあるビル型の施設を選んだ。早くサウナに入って不快感を纏いたい。都会型の施設だけあって、昔ながらの銭湯よりも若者が多い。何をしているのかわからない風体の人もいるが、服を来ていないにも関わらず、大きな仕事をしているオーラが出ている。裸になればみんな一緒だと思えれば良いが、むしろ裸だからこそ雑味のない自分との差を知ってしまう。その有象無象の汗の蒸気を吸って、吐き気を覚えながらもすーっと気持ちが楽になる。

外に出て、ビル外観の写真を撮り、近くのドトールで事前に作っておいたテンプレートに写真を当てこんで投稿を作る。18時に投稿できるよう予約する。ただのアリバイ投稿のはずなのに人が多く見るであろう時間を狙って設定している自分の生真面目さに笑ってしまう。帰ろう、と席を立とうとしたときにDMの通知が入った。

「いつも拝見しています。少し気になることがあったので一度お話ししたいのですが」

なんてことはないラテアートのアイコン。プロフィールから得られる情報は希薄で、訪れたカフェの写真などが投稿されているだけだ。少し不審に思ったものの何故か無視できず、はいでもいいえでもなく「ありがとうございます」とだけ返信する。すると即座に「食事でもどうですか」と返ってくる。さすがに何が目的なのか、詐欺か何かか、それとも一夜限りの関係を求めているのか。どれも自分のような人間がターゲットになるようには思えなかったが、もうどうでもいいやと思い、「いつでもどこでもいいので指定された場所に行きます」と投げやりに返し、今度こそ店を出た。この間に夕方は夜になり、不毛な1日を強制的に終えようとしてくれている。


返事をしたときには実際に会うことになるとは思っていなかった。それでも結局、私は人からの誘いや約束を断ったり、無視したりする勇気がないのだ。単純に気が弱いせいもあるが、自分で起こしたアクションが良い方向に向かった試しがなく、それであれば誰かのアクションに乗れば何か変わるのだろうかと密かに期待、というか実験をしている。もう自分がない。流れに身を任せているといえば余裕のある人間のようにきこえるかもしれないが、ただ自分を諦めているだけだ。

待ち合わせは17時。インスタグラムには東京の銭湯しか載せていないので、私の行動範囲は相手にもなんとなく伝わっているはずだが、待ち合わせ場所は東京ではなく、静岡だったので驚いた。待ち合わせの駅に時間の15分前に着く。「ポケットに赤いバラ」のような浮ついた目印はしていなかったが、改札の向こうからまっすぐ私の方へ歩いてくる女性が見えた。

「来てくれたんですね」
そう言う彼女からは突然不躾なDMを送りつけてくるような人間性が微塵も感じられない。年は自分より少し下だろうか。20代半ばくらいに見える。シンプルな黒と白のボーダーのカットソーにくたびれた少し太めのウォッシュドデニムを合わせている。栗色の髪の毛は自然な流線を描いていて、ニューエラのベージュのキャップが似合っている。なんとなくそうかなと思って足元を見ると予想通り白のジャックパーセルを履いている。嫌味のない笑顔にはあどけなさが残っていて、誰からも好かれそうなそんな印象だった。

「とりあえず行きましょうか」
彼女はそう言って駅の北側に続く商店街を指差す。斜め掛けしていたマリメッコのポーチを手に持ちかえて、膝でぽんぽんと蹴りながら歩く。アーケードの出口に見える空が夜に侵食されようとしている。いつもはスピーディに1日が終わってほしいのに、何故だか今はこのまま夕方が続けば良いのにと思っていた。

「私、死のうとしてたんです」
「え」
名前すら知らない女性から突然オフラインで「死」という言葉をきくとは想定しておらず、狼狽した。狼狽したのは、快活な印象の彼女が死から無縁の遠い場所にいるように思えたからでもある。人は見かけによらないというが彼女もまたそうなのだろうか。目を泳がせていると彼女は小さく笑って話を続ける。

「別に理由らしい理由はないんですけどね。でもなんだか小さないろんなことがうまくいかなくて急にそう思ったんです。それで3日後に死のうと決めて、いろいろなものを食べて回りました。あっ、私食べるのが好きなんですよ。お寿司とか焼肉とか、あとは変わったものも食べとこうと思って虫が食べられる中華?にも行ったんですけど、死ぬと決めたからってなんでもできるわけじゃないんですよね。結局、セミの串はスルーして普通に水餃子とか食べちゃいました。あ、私、中村葉月と言います。」

死の次は虫か。自己紹介の枕詞にしてはインパクトが強い。それでも不思議と嫌な気はしない。生々しいグロテスクなワードでも彼女の口から発せられると、不快な湿り気やざらつきは取れ、カラッと乾いた印象に変わる。

「ゲテモノをスルーしちゃったんで、その代わりに何かひとつ苦手なことを最後にやろうと思って、サウナに行くことにしたんです。でも全然どこにあるかわからなくて、それでたまたま見つけたアカウントでおすすめ1位で紹介されていたサウナに行ったんですよ。」

「それが僕のアカウントだったってわけか。じゃあ「いつも拝見しています」っていうのは嘘だったんだ。」

「あ、すいません。その1投稿しか見ていません」悪戯っぽい笑顔を浮かべて彼女は言う。

「別にいいよ。それでサウナはどうだった?」

「今まではなんでわざわざお金を払って暑い思いするの?って意味がわからなくて嫌いだったんです。でも、昨日行ってみたら、辛い思いするのがだんだん気持ちよくなってきて。自分が許される感じがして死にたいって気持ちがちょっと薄れたんですよね。で今日も生きてます」

建前で投稿したものが、思いがけず彼女の命を引き延ばしていて驚いた。

「なんとなく死にたいと思ってたんですけど、なんとなく生きててもいいかなって。それでなんとなく今日食事に誘いました。そんなんでも良いのかなって。迷惑でしたか?」

私たちはアーケードを抜けて100mほどのところにある中華料理屋に入った。中華料理というよりは中国料理というのだろうか。それとも台湾料理だろうか。そのあたりの明確な区分はよくわからない。本場の店を日本家屋にそのまま移植したようなちぐはぐ加減が、異様な存在感を放ちつつ、長くここにあるからなのかこの場所の景色として確立されている。店先には古びたテーブルと椅子が出されていて、肌着姿の老人男性が1人で静かに何かを食べている。

店内は純然たる本場の空気が充満している。2階部分とは空気の行き来がなく、完全に仕切られているようだ。まだ時間が少し早いからか、人はまばらだが日本語は一切きこえてこない。

「ここにも来たんです。その時食べたよだれ鶏がとってもおいしくてまた食べたくなりました。」

「よだれ鶏ってなんだっけ?」

「四川料理のひとつで、茹でた鶏肉に唐辛子や花椒、辣油なんかが入ったタレをかけて食べる料理です。思い出すだけでよだれが出るほどおいしいからっていう説もあるらしいです」

「葉月さんみたいに?」
つまらなく、鬱陶しい茶々を入れてしまう自分に嫌気がさす。

「まさにそうですね。あったかいんじゃなくて冷菜なんですよ。とりあえずビールとよだれ頼んじゃっていいですか?」

「ああ」

ほどなくして運ばれてきたよだれ鶏には辛そうなタレがたっぷりかかっていて、その上にナッツを砕いたものとパクチーがどっさりのっかっている。

「俺、パクチー苦手なんだけど」
正直にそう告げる。

「なんとなくそうかなと思ってました。まぁそう言わず付き合ってくれません?奢りますから。人生はチャレンジの連続ですよ」そう言うので、意を決して食べた。が、案の定体が受けつけず、反射的に吐き出してしまった。

「やっぱダメだ」
そう言って構わず瓶ビールをラッパ飲みした。葉月がコロコロと笑っている。

「でも、鶏とこのソースはめっちゃうまいな。ごめんやけどパクチーは食べて」

無理なものはどければ良い。どけてもそこに確かにあったという存在感は残るが、どけないよりはずっとマシだ。

「他にも適当に頼んじゃっていいですか?なんて読むかわからないものもありますけど」

「いいよ」

その後もよだれ鶏を食べながら、他愛もない会話を続けた。話す意味もないようなことばかりだったが、だからこそ意味があるように感じられた。

運ばれてきた料理には餃子や、豚と野菜を炒めたようなものなど、見慣れたものもあったけど、ひとつ妙な光沢のある飴細工の集合体のようなものが皿に盛られていた。

葉月が笑っている。
私はすべてを察し、もう一度パクチーを口に含んだ。

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