エストニア国立博物館、田根剛

田根氏に疑問を持ってから、いろいろ調べていると、私から言わせると、
事実を歪曲していると思われる、ようなことがあるなと感じました。

これをどのように感じられるかは読者のそれぞれの感性にお任せします。

まず、「エストニア国立博物館」についてです。

文部科学大臣新人賞が発表された。
田根剛は、平成18年に弱冠26歳で「エストニア国立博物館」の設計競技において最優秀賞を獲得したことに加え、さまざまな困難を乗り越えて、昨年その建築を完成させた功績が認められ、選出された。

文化庁 芸術選奨受賞に鴻池朋子や建築家の田根剛、毛利悠子など

多くの記事や紹介などで、田根氏が単独で、このエストニア国立美術館を設計した、というように受け取ってしまうように書かれています。

まず、日本語の文献だけでもわかるのが、少なくとも3人が関わっていることがわかります。

フランスの若手建築家集団 DGT Architects ( Dan Dorell ,Lina Ghotmeh, Tsuyoshi Tane :田根剛 ※現在は解散 ) により設計された博物館は、エストニアの第二の都市タルトゥの郊外に建てられました

https://flacedesign.com/images/mimg/171017/171017.htm

もはや、田根氏がリーダーの建築家集団であった、というようにも書いているものもあります。

田根剛率いる〈DGT.〉による〈エストニア国立博物館〉が完成して以来、日本からも注目を集めているエストニア。

https://twitter.com/CasaBRUTUS/status/1199599740599578629

ただ、冷静に考えると、いきなり26歳の日本人が欧州で建築家集団を作り、建築コンペで選ばれる、というはいささか不可解であり不思議な、唐突な印象を受けるエピソードではあります。

となると、このDGT Architects ( Dan Dorell ,Lina Ghotmeh, Tsuyoshi Tane)って、なんなんだ?という疑問を持つわけです。

ENM authors DGT architects Dan Dorell, Tsuyoshi Tane and Lina Ghotmeh at the opening of the building

そこで、気づいたことがあるのですが、「エストニア国立博物館」をいろいろと検索すると、日本語では、田根氏のインタビューが多数見つかるのですが、

「Estonian National Museum」でいろいろと英語で検索すると、「Lina Ghotmeh」氏のインタビューばかりが出てきます。

We were excited to have a chance to learn about the museum first-hand from one of the creators of the museum, founder of “Principal Architects,” Lina Ghotmeh:

Estonian National Museum. Interview with Lina Ghotmeh

田根氏が中心であれば、英語での田根氏へのインタビューもたくさん出てくるはずです。

なぜなのか?、疑問を持っていたところ、ある人から、「DGTって、あの女性が中心のやつでしょ?」「田根さんって、あそこから追い出されたんでしょ?」という話を聞いて、さらに疑問が広がりました。どういうことなのか?

そのリナ・ゴットメ(Lina Ghotmeh)さん、に興味を持ち、引き続き調べることにしました。

リナ・ゴットメ(1980年〜)/もともとは考古学者志望だったゴットメは、ベイルート・アメリカン大学で建築学を専攻した。「Archeology of the future(未来の考古学)」と呼ぶ自身の方法論を通じて記憶、空間、ランドスケープといったコンセプトの研究に携わる。卒業後は、同校が主催するFawzi W. Azar賞と優れた建築物とグラフィックデザインに贈られるAreen Projects賞の2冠を達成。その後、パリ建築大学に進学して研究に取り組む一方、2008年から2015年にかけて同校にて准教授として教鞭を執った。ロンドンで暮らしながらアトリエ・ジャン・ヌーヴェルとフォスター&パートナーズと仕事をしていた2005年には、エストニア国立博物館の国際コンペに優勝。これを機に、パリにてダン・ドレルと田根剛の共同主宰によって建築事務所・DGTアーキテクツを設立し、国立博物館関連の大規模プロジェクトに携わる。

https://www.fritzhansen.com/ja/Inspiration/Stories/The-Journal/Stone-Garden

このブログを読む人であれば、むむむ?、と思ってしまうキーワード

Archeology of the future(未来の考古学)」と呼ぶ自身の方法論を通じて記憶、空間、ランドスケープといったコンセプトの研究に携わる

が、現れましたね。

 今日のインタビューすごく楽しみにしてました。田根さんの年齢を聞いて、ちょっとまだ若いから、正直言ってインタビューするのどうかな、、とか思っていたんですよ。でも、その若さでエストニア国立博物館の国際コンペで優勝するって、どんな人なんだろうって興味もあった。半信半疑ながら、今日はここにいます。

田根 そうなんですか。ありがとうございます(笑)。

 失礼なこと、聞きにくいことを毎回聞いちゃうんですけど(笑)、本音で迫ります。お許しください。
まずは、エストニア国立博物館について聞いていきたいんですけど、3人の建築家の中で原案は誰が出してるの?

田根 ぶっちゃければ、僕です(笑)。

https://www.designstoriesinc.com/special/tsuji-interview_tsuyoshi_tane1/

この「エストニア国立博物館」のプロジェクトで、田根氏は「考古学的リサーチ」と呼ぶ手法に可能性を見いだした。
「コンペに応募する前は、自分はどういう建築をつくるべきだろう、競争の激しい建築の世界で自分はどう勝負できるだろう、といったことを考えていたのですが、コンペに勝ったとき、このように場所の記憶や意味を掘り下げて建築をつくることに向き合っていけばいいんじゃないか、と道が開けたように思いました」

https://www.dailyshincho.jp/article/2018/11231130/?all=1

田根は、「場所の記憶」と「記憶の継承」をコンセプトに掲げている。長い歴史を持ち、複数の時代の建築が多層的に残っている弘前にて、近代の産業遺産を美術館として蘇らせるに相応しい姿勢だろう。

 菊池正浩によるインタビュー「土地の記憶を見つめ、未来を設計する」の中で、「どういった思想のもとに未来を設計していくか」を考えたと田根は語っている。考古学者のように過去を探ることで、様々な発見によって「これからの未来を見つめたい。

https://bijutsutecho.com/magazine/series/s48/25764

言っていることが、双方まったく噛み合っていない、ということはよく分かりますね。

ただ、私も当時のことを直接知るわけでもないので、

この「Lina Ghotmeh」さんに、直接、話を聞かせてもらうべくコンタクトをとり、彼女の考えをお伺いできました。

個人的なやりとりですので、ここにエビデンスを掲載するのは控えますが、私の受けた印象としては、話をまとめると、いい感情を田根さんに持っていない、のではと思いました。

(田根氏に疑問に持つ方は、このリナ氏に直接メールなどで連絡して、ヒヤリングすればいいのではと思います。)

このエストニア国立博物館のエピソードも1つとっても、事前に多面的に知っていれば、田根さんって有名だけど大丈夫な人なのかな?と、疑問を持っていたと思います。


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