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贈り物に喜びを表すのははしたない?

父の死を機に、絶縁していた母と接触することになりました。借金と、ゴミ屋敷、今後の母の生活をどうするか、戦っているところです。

今回は、私がまだ毒親の洗脳から解かれていない20年前ほど昔の、恩を返そうとしていた頃のお話がメインです。母の人柄を伝えるためですが、自分語りも多めです。


(前回のつづき)

父、母、私の3人の食事会場に、旅館を思わせるような「風光明媚」を取り入れた趣ある和食屋を選び、喜んでもらえるだろうかと浮き足立つ思いでエスコートをした。社会人になって自分のお給料でご馳走する。両親は私の成長を前に、きっと喜んでくれるのに違いないと一般常識に沿った勘違いをしてしまっていた。

高級旅館の庭園さながら、赤く染まった紅葉や緑の上垣。入り口に向かう途中、母を見ると、こんな場所で浮かれるようなひもじい人間ではないと、訴えるような歪んだ表情で私を見ていた。私の考えが甘かった?

あぁそうか。お菓子や贈り物やをもらって喜んではいけない、はしたない人間だ、飢えている人間だと思われる。笑顔を振り撒くのは頭の悪い女のすることだ。そういう人だったっけ。

和畳の個室に案内され、靴を脱ぎ、5畳ほどの間にあがると、部屋は閉め切られて密室空間となった。店選びに失敗したと気づいて、挽回しようと必死に明るい話題を探す。企画を考えて店に本が並ぶまでの行程や、果物狩りの撮影にヒールでやってきたモデルについて話し、連日職場へ出勤するだけでそれだけで偉いのだと必死に説き、仕事をする父を褒めたりした。それも間違いだった。母は父が褒められることをよく思わない。赤子のときの写真を見て父に似ていると言った私を睨みつけるほどに、母は嫉妬深いのだ。どうして自分ではないのだ、と。

そして「初めてディズニーに行った」という言葉が、取り返しのつかない地雷となった。

母はぐりぐりに目をむき出し、「私と約束したよね?一緒に行くって。その前にあなた1人で行くのはどういうことなの?誰と行ったの?」

怪物に見えた。

ねじ曲がった独占欲。執着。子離れできない母親の心。

「まさか男じゃないでしょうねぇ。」

とっさに、職場の上司と仕事で東京に行くことになり、ディズニーへ行ったと嘘をついたが、機嫌は戻らなかった。友人と花火へ行くにも、イベントに行くにも、私がどこかへ行こうとすると機嫌が悪くなる。昔から気持ち悪かった。

外界からノックの音がする。

助かった。と思った。作務衣のような制服に身を包んだスタッフが、友達同士、恋人同士で来たなら感嘆の声を漏らすであろう、お重に整列した、彩り鮮やかで美目麗しい食事が3人分運ばれてきた。淀んだ空気を必死に取り繕い、私だけがお礼を告げる。

両親に、綺麗だねぇ、この食材は何かな、美味しいねぇ、などと食べ物を見て喜ぶ、味わうという感覚は皆無だった。母は食べ物を口に運び、くちゃくちゃと音を立てて不味そうに顔をしかめ、お重に詰まった煮物や揚げ物、ご飯を半分残したまま、もういらない、と言った。母のぎろりとした目。そのうち長い舌が伸びてきて全身を巻かれるんじゃないかとさえ思えた。

和やかに、両親と良い時間を過ごし、日をあらためて彼氏を紹介するつもりだった。ご飯は、ほとんど味がしなかった。覚えているのは、父のお重が空っぽになったこと。

結果、彼氏の紹介にもつながらず、不穏な空気のまま解散となり、両親もすぐに帰ったと記憶している。

他人に貰ったもので喜んではいけない。はしたない!あさましい!

幼い頃に植え付けられた教えはなかなか抜けない。無邪気に喜ぶということは、私もいまだに難しい。40代を前にしてようやく自然とできるようになってきた。

それまでは、社会人として、スイッチ切り替えてテンションを上げ、精一杯演じていたが、わりとエネルギーを擁する。嬉しいことがあっても、この幸せがいつまで続くのだろうという不安にも陥る面倒さ。もちろん素直に喜びを表現していいんだ、人間はそうあるべきなんだ、嬉しい幸せ!明日から頑張ろう!と思える場所も時間も増えて、生きやすくはなった。

毒親育ちは被害者意識が強いらしい。母の嫌いなところは被害者意識が強いところ。過去の「わたし、可哀想。こんなに頑張ったのに」話をしだすと止まらない。父が死んだ時も、警察に状況を聞かれているのに、「お父さんは借金を残して死んだ!こんなに私ばかりがなんで苦労するのか」と、話が脱線して聞き取りできず、娘の私に電話がかかってきたぐらいだ。

母の両親は離婚している。母側に引き取られたものの、男を取っ替え引っ替えしていたため、おばあちゃんに育てられ、おじさんたちの戦時中の保険金で育てられたと異様なまでの感謝ぶり。とても良いことなのだろうけど、感謝のあまり少し宗教めいた行動をすることがあり、それがまた私にとっては怖いところ。母の性格は毒親育ちではないにしても、やはり家庭環境が関係しているのだろうか。

毒親理論で言うと、私も被害者意識が強いことになってしまって激しい悔しさに苛まれるが、毒親のもとを離れてからは自分を生きているつもりだし、他責は避けているつもりだ。親に決められたレールを脱し、今は自らのレールで未来を見るようにしている。

つづく

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