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『コントが始まる』第8話 「もうひとつのシーン121」

「泣きながらご飯を食べたことがある人は生きていけます」
坂元裕二『カルテット』第3話

という、他のドラマの名台詞をついつい引用したくなるほど、ラストシーンの中浜さん(有村架純)の涙が全てを持っていった第8話。冒頭のコントは「ファミレス」。ファミリーレストランではなく「ファミリーレスキュー」の略である。客の無意識の要望にまで応えてしまう店員役の瞬太(神木隆之介)に、自分が嫌いなバナナをパフェから勝手に抜かれた春斗(菅田将暉)が言う。

「そういうのは自分でやりたいから」

先週の第7話では「選択」についての物語が描かれた。「前に進む」と決め、就職の面接に向かった中浜さんは、春斗にその理由を問われ「受付に花があったから」と答える。

「人生ってそんなラフに決めていいものなの?」

中浜さんが、春斗からすると「些細なきっかけ」で動けたのは、恩田店長(明日海りお)が背中を押してくれたことや、奈津美(芳根京子)の言葉(「受かったら入らなきゃいけないなんて考えなくて良いですから」)を受け入れてきたからではないだろうか。自分で選んだと思っている道も、その選択には様々な人の言葉や思いが影響している。そして、必ずしも選んだ道に進まなければいけないわけではないし、その都度、選びなおせばいい。人の言葉に耳を傾けたことで、軽やかに重大な選択をすることができた中浜さんに対し、全てを自分で決めたい春斗には、一つ一つの選択肢が重くのしかかる。

最終回が近づき、登場人物の一人一人が道を選び、前へ進んでいく中、進むべき道がはっきりと決まっていない春斗と中浜さんの二人がドラマの中で浮き上がってくる。その2ショットから思い出さずにいられないのが、坂元裕二脚本の映画『花束みたいな恋をした』だ。菅田将暉が演じる麦と、有村架純が演じる絹の二人はカルチャーの趣味が一致したことで交際を始めるが、徐々にすれ違っていく。映画のシナリオブックを読み返していると、あるシーンで目が留まった。シーン121、二人の部屋。絹が転職を考えていることを知った麦が苛立ちをぶつける。長く、重い会話の後、修復不可能なほど悪化した空気を誤魔化すように二人が交わす会話。

麦「…最近何見てるの?ウォーキング・デッド?」
絹「はもうあんまり。今はね、これ。すごい面白いよ」
   PCの画面に「マスター・オブ・ゼロ」を表示させる。
麦「(見るが、なんかよくわからなくて)ふーん」

完成した映画では台詞だけで処理されていたが、シナリオ上では二人がPCで見るはずだった『マスター・オブ・ゼロ』は、Netflixで配信されたドラマシリーズである。主人公の俳優・デフはシーズン1のラストで、いたって「ラフに」人生を変えるような決断をする。春斗には是非このドラマを見て欲しい。同じ俳優が出演しているから、更にその作品で言及しているからといって安易に他の作品を接続するのはどうかと思いつつ、これらの作品が描き出そうとする感覚が共鳴しているように思えて仕方ない。ベランダ越しに人生の選択について会話を交わす春斗と中浜さんは、同じ部屋にいながら互いの仕事をきっかけに溝を深めていく麦と絹の、あり得たかもしれないもう一つの姿に見える。

さて、春斗はこれまで拒絶していた楠木(中村倫也)が決めたネタ順を受け入れる。それは、中浜さんとの会話で、選択への意識が軽くなったからなのか。それとも、その順番から、楠木の思いを感じ取ったのか。憑き物が落ちたような春斗の顔は、その両方が含まれているように見えた。

「ちゃんと見ててくれたんだな」

春斗が楠木を指して発した台詞は、潤平(仲野太賀)から姉への、中浜さんから妹への、そして、ネタ順が今まで見てきたドラマの放送順と同じであることに気づいた視聴者への言葉として響く。レスキューしてくれる「ファミリー」は、血の繋がった者同士だけではない、様々な関係性のことだと信じたい。

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