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広島市の未来を真剣に考える。

はじめまして。
谷一樹(たにかずき)と申します。

2023年の統一地方選挙に、広島市議会議員候補として西区から立候補し次点で落選をいたしました。

「私は広島市をもっと良くしたい!」
そう思って立候補をしたからには、一度選挙に落選したからといって志を曲げるつもりはありません。

この記事では、私について自己紹介などさせて頂ければと思います。
最後までご覧いただければ幸いです。


経歴

1988年9月30日生まれ。広島市西区出身。広島大学附属小学校、広島城北中高、日本大学法学部政治経済学科卒業。 広島マツダにて自動車販売業やおりづるタワーの開設に携わった後、衆議院議員秘書、不動産業を経て広電建設へ入社。2023年の統一地方選挙に立候補するも落選。再度、広電建設に雇用をして頂きました。

時々、選挙前の勤務先と現在の勤務先が同じなので、休職をして立候補したのではないかと聞かれるのですが、一度退職をしております。
業務も以前は賃貸や売買などの不動産取引に関する業務を主としておりましたが、現在は宮島口にあるHiroden ettoという商業施設の管理事務所で働いています。

選挙後の就職活動は中々大変で、再度雇用をしてくださった広電建設には心から感謝しております。

政治を志したきっかけ

選挙に出るのは、大変な事です。
大金がかかるだけではなく、西区中に顔写真の入ったポスターを貼り、街頭で演説をし、そして落選をしたら大恥です。
当然、それだけの覚悟をして立候補をしています。

政治に興味を持ち始めたのは、本当に小さなきっかけでした。
小学生の時、当時の議員が汚職事件を起こし、ラジオで汚職事件と言っているのを聞いて「お食事券?なにそれ?」と大人に聞くと、政治家が良くないから、悪いことをしているのだ。と言われました。
良くないなら、ぶつぶつ言わずに自分でやればいいじゃん。
そう思った事が、私が政治に興味を持ち始めた最初のきっかけです。

その後、高校も2年になり進路を考える時に、大学進学をするならどんな事を学ぼうか、そう考えたときに、小学生の時に考えた、政治が良くないなら、自分でやればいいじゃん。という単なる思い付きをより具体的にしよう。そう思い、政治が学べる学校を受験することに決めました。

政治を学べる大学は日本中にありますが、当時「政治経済」と名の付く学部や学科は早稲田大学と日本大学しかなく、政治と経済は絶対に切り離せないものだから、政治経済の学べる学校にしようと決め、そして高学歴でいわゆる上流の人たちが集まる早稲田大学よりも、日本で一番学生数の多い日本大学のほうが、一般社会に通用する「普通」の感覚を身につけられるのではないか、と思い日本大学を受験することとなりました。
(今考えたら偏見ですね。もっと勉強をするべきでした。)

在学中は西洋政治思想史のゼミに所属し、課外活動では防具空手道部と政治研究会で活動をしていました。

卒業も迫り、楽しい東京生活を続けるか、広島へ帰り就職活動をするか悩んでいた時に当時の担当教授である故藤原先生から「東京には優秀な人材は余るほどにいる。君は優秀なのだから自分の地元のために尽くしなさい。」とお言葉を頂き、地元広島へ帰ることにしました。
客観的に見ても、とても優秀とは言い難かった当時の私に、このような温かい言葉をかけてくださった事を今でも忘れることができません。

広島に帰省し、就職活動を行いました。政治には興味があるものの、いきなり政治に関わる仕事に就くよりは、もっと普通の仕事をやって世の中の常識も身につけたい!と思い、自分の人生で関りが深かった、マツダ系の会社を受けることにしました。

ちなみに、私がマツダとどれくらい関りが深かったかと言うと、私の父はデルタ工業というマツダ車の座席を製造しているメーカーで、母は独身の頃はマツダ株式会社で働いており、私はマツダ病院の、今は無き産婦人科で産まれております。(そして後に結婚した妻の職場はマツダ病院です。)

その後、無事にマツダ車ディーラーの広島マツダに入社し、中広の店舗で営業として仕事をしておりましたが、中広店は広島マツダの店舗でも建屋が一番古く、築40年を超えていたことから閉鎖。

それに伴う異動で、当時広島マツダが新しい事業として取り組んでいた、おりづるタワー開設事務局で働くこととなりました。
ここでの経験はとても新鮮で、物産館担当をしたのですが、商品の仕入れや什器の選定、商品陳列からPOSレジの導入、値札の作成から外国語対応のための翻訳など、本当に多岐に渡る業務の経験ができました。

おりづるタワー完成後は、そのまま物産館担当となり、店舗での接客や運営等をしていました。繁忙期のお客様の多さや学会等のイベント、8月6日の喧騒は今でも昨日のことのように思い出されます。

そして、当時時々手伝いに出入りをした衆議院議員の地元事務所から、せっかく手伝いに来ているなら本業にしてはどうか、とお声がけを頂き、私設の秘書となりました。

恥ずかしながら、色々とありまして、事務所は短期間で退職をしてしまいましたが、ちょうど総選挙の時期に入職することができたので、約1か月間フル稼働して選挙に加わる事ができました。
この経験は自分の選挙の時に大変な力になりました。

退職後は、職業訓練校で職業訓練を受けつつ、夜は資格学校のLECに通い宅地建物取引士の資格を取得し、己斐の不動産会社に就職をし、その後広電建設に転職をしました。

実体験の気づき

この間に一番大きな人生のイベントは、結婚でした。
結婚し、こどもが生まれたとき、本当に衝撃的でした。
お金がかかる。
市からお金が出るから、出産費用はかからないよ。とだけ聞かされていたのですが、支給された40万円程度の金額がまるごと病院に流れ、ベビー用品一式(ベッド、布団、チャイルドシート、ベビーカー、服、哺乳瓶、抱っこ紐、洗浄機器、玩具、おむつ、粉ミルク等々、頂いた物も色々と。)を購入し、様々なお金がかかり、これから私の財布は大丈夫か!?と、とても不安になりました。

そして、よくよく考えてみると、まず出産時に貰えるお金が病院に直接入金ができる仕組みがあり、入金された病院はそのお金を返金しないために様々な追加サービスを提案し、不安な両親(特に初産)は提案されたサービスを全部受けてしまい、退院時には返金どころか追加でお金を支払う。そんなスキームが完成していることに今更になって気が付きました。

また、こどもが1歳を迎え、妻が職場へ復帰することとなり、保育園を利用し始めたときも、金銭的な不安を覚えました。

広島市では3歳未満のこどもを保育園に預ける際は収入に応じた保育料がかかります。一人目満額二人目半額三人目以降は無料です。
そして、私の家庭では当時の保育料が4-5万円でした。
共働きだから余裕でしょ?と思われるでしょうか。

恐らく私と似たような環境の方も同じ気持ちになったと思いますが、人は皆自分の財布に見合った生活をしています。毎月4-5万円もゆとりを持って生活をしている訳ではありません。このゆとりとは毎月の貯蓄とかではなくて、追加の出費のことです。
例えば、生活に余裕あるからといって、5万円のサブスクサービスに気軽に加入される方は少ないと思います。
かなり慎重に検討をした結果、加入したり、しなかったりするような、そんな金額です。

こどもを増やすぞ!産みましょう!と政府も自治体も音頭を取り、夫婦も賛同しているのに、何だこれは。と本当にショックでした。結果的にはなんとかなったものの、当時は子どもの保育料で生活が破綻するのではないかと真剣に心配をしたものです。

決心

このままじゃいけない!と心から思いました。
もちろん、自分だけが金銭的に楽をしたいだけならば本当に色々な道があります。給与の良い会社に転職をしたり、自分で事業を始めてみてもいいのかもしれません。でも、それは本当の問題の解決ではありません。

私は学生時代から政治に興味を持ち、秘書をしたり現職の政治家の方の手伝いなどに参加してゆく中で実感をしています。
広島市も日本も、このまま流れに任せていてはいけないぞ。と。

広島市や県の、人口・企業の転出数は日本有数であり、合計特殊出生率も伸び悩んでいます。
今はまだ大丈夫。ではなく100年後200年後の広島を想像してみてください。
こどもや孫の世代となった時に、どうなるか。

今ならまだ間に合います。
こどもを産みやすく、育てやすく、学びやすく、働きやすく、移動しやすく、住みやすく、県外とのアクセスも良く、起業もしやすく、大手の企業も支社も設置しやすい。そんな広島を目指した方が良いと思いませんか?

先進国の少子高齢化は仕方がない。ではなく、そんな逆境でどう生き残るか。ちゃんと計画を立てた方が良いと思いませんか?

残念ながら、今の広島は他の自治体との、人と企業の取り合いに負けているようです。負けが続けばいつかは税収が落ち込み、行政サービスの維持が困難になります。
そして、また低下したサービスに不満を覚えた住民が逃げ行く負のスパイラルとなります。

私はより良い広島市を次の世代に残したいと考えています。
「こんな時代だから仕方がない。」という舵切りの結果の広島市ではなく、日本有数の魅力ある都市に変貌を遂げた広島市を残したいのです。

今の広島市の現状を鑑みると、その第一歩は「こどもを増やす」「企業を増やす」ことだと考えます。
こども政策や企業誘致をばら撒きと見る方もいますが、私は投資だと考えます。人も企業もいなければ税収は見込めません。
税収が無ければ自治体は行政サービスの提供はできません。
税収拡大による、財政面の強化こそがより多様な行政サービス・施設の提供による魅力的な街づくりに繋がると考えます。

広島市の体力がある今だからこそ、未来への投資を行うべきではないでしょうか。

そう強く想い、私は2023年の統一地方選挙に立候補をしました。
本当に悩みました。
仕事は楽しく、上司や同僚にも恵まれました。
定年まで働けば生活に苦労することもなければ、恥をかいたり悪く言われる事もあまりないでしょう。
それでも、広島市を少しでも良くしたい。
その一念で立候補をしました。
沢山の方に支えて頂いたにも関わらず、結果が伴わず本当に情けなく申し訳が立たない気持ちでいっぱいでした。

でも、だからこそまた挑戦をしようと考えます。
本気であれば、一回駄目だったからといって諦めるはずがないからです。
私はこれからも挑戦し、広島市の未来を考え続けます。

最後に、尊敬する方から頂いたチャーチルの名言を記載して終わりにしたいと思います。

金を失うのは小さく、名誉を失うのは大きい。しかし、勇気を失うことは全てを失う。



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