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そーだったのか!?石川県!!

春が来る!ゴールデンウィークが来る!
と言うことで新幹線も開通したし
今年は石川県に行って
隅々まで観光して応援しよう!

私がオススメするのはもちろんレトロな建築。
金沢市は戦時中、大きな空襲を逃れたため
残っている建築が多く見どころたっぷりです😆

そしてレトロ建築を巡っていると
金沢市のいろんな面が見えてきて
この土地を深く知ることができるので
せっかく行くなら
ドップリと金沢にハマりましょう!

ちなみにご紹介する順番ですが
カテゴリ分けになっているので
決して回りやすいような順番になって無いです💦
すみません😅




第一章 近代化の痕跡


◆尾山神社 神門


初代藩主前田利家を祀った神社。
石組みのアーチだったり
色ガラス(ステンドグラス)の窓だったりと
洋風なデザインが見られる擬洋風建築の門です!

この門が文明開花の象徴である擬洋風建築なのは
尾山神社が明治6年に建てられたためです。

江戸時代、前田利家を公然と祀ることが
はばかられたため
卯辰山の麓に卯辰八幡宮を建てて
八幡神と一緒に祀っていました。

明治に入り、旧藩主前田家が東京に移った為
藩主の邸宅のあった現在の場所に神社を移し
名前を「尾山神社」へと変えます。
ちなみにこの東京に移った前田家の邸宅がこちら


神門の設計を手掛けたのは
地元の大工「津田吉之助」
この方は大工なんですが
機械技術にとても興味を持っていて
富岡製糸場を見学し、製糸機を真似して作るなど
近代技術者の先駆けでした。

そんな新しい感覚を持った津田吉之助は
神社の神門を
あえて洋風に造ったのかもしれません。

中は残念ながら非公開なんですが
日没とともにライトアップされ
ステンドグラスがキレイなのでオススメです!


◆旧金沢貯蓄銀行


低くどっしりとしていて
屋根には鯱鉾が乗った和風の外観。
しかし中に入ると洋風の内装が広がる
擬洋風建築の元銀行。
こちらは明治40年に建てられました!

城下町だった尾張町の商店街や
近江町市場の商人を相手とし
金沢の経済を支えていました。

見どころは重厚な頭取室と大胆なアーチの空間!

飴色に光る頭取室


イベント用のピアノが置かれています


小さな建物ながら金沢の経済を支えていた銀行を見に行こう!


◆旧石川県庁舎本館


石川県で最初の鉄筋コンクリート造りの建物
大正13年に建てられました。
この記事で紹介している他の建物とは
全く違うモダンなデザインの庁舎です!

現在は正面のみ残されていますが
その貴重な正面に貼られた
茶色いスクラッチタイルは当時大流行のタイル。

というのもこの庁舎が建つ前の年
歴史に名を残す帝国ホテル ライト館が完成。
そのライト館で使われたスクラッチタイルが
全国で大流行していたのです。

アールデコ調の優雅な照明


設計したのは国会議事堂の設計にも関わった
大蔵省大臣官房臨時建築課長(長いっ!)
矢橋賢吉

当時の一流技師による流行最先端の建物
ぜひご堪能ください!



第二章 「学都」としての金沢


◆旧第四高等学校


当時ナンバースクールと言われていた
旧制高等学校のうちの1つ第四高等学校

ナンバースクールとは、1948年(昭和23年)まで日本に存在した高等教育機関の一つである旧制高等学校の中で、数字を冠した学校群のことである。
旧制高等学校は最終的には全国に39あったが、明治期に創設された旧制一高から旧制八高までは、政官界に卒業生を早く送り込んで後発の学校よりも優位に立ったため、他と区別するため、特別に「ナンバースクール」と呼ばれた。

Wikipediaより

第四高等学校は明治20年に開校。
金沢大学の前身となりました。

設計は当時ナンバースクールの建築を多く手掛けた山口半六と久留正道。
2人が手掛けた校舎で現存するのは
この第四高等学校と熊本の第五高等学校のみで
校舎自体とても貴重なものです。

2階の窓はパッチリまつげみたいでお茶目!

この学校から数多くの偉人が卒業し
金沢の教育のシンボルとなりました。

優秀な卒業生の中でも外せないのが
博物館明治村の創始者
谷口吉郎(元東京工業大学教授)
土川元夫(元名古屋鉄道株式会社会長)

2人はこの学校の同級生で
失われゆく明治時代の建築を惜しんで
博物館明治村を造ったのです!

注!こちらは明治村内での展示です!

ちなみに明治村で展示されている
物理化学教室と武道場は
この第四高等学校から移築されたものです。

明治村好きの私としては
毎日この旧第四高等学校の方角に
最敬礼しています。
ウソです。

現在は休館中ですが外観は見られるので
深みのある煉瓦の色にうっとりしてみてはいかがでしょう?


◆旧石川県立第二中学校


可愛いパステルピンクの外観が特徴の
こちらの校舎は明治32年に建てられました。

目を惹く尖塔
透かし彫りが可愛い破風

両側にある2つの尖塔と真ん中の破風を合わせて
三尖塔校舎と呼ばれています!

現在は金沢くらしの博物館として利用されていて
内装も見どころたっぷりですが
外観も細かいところまで可愛らしいので
じっくり見ましょう!

「ちいかわ」っぽい透かし彫り

明治時代の学校建築の指針は
なるべく飾りなど排除し、その土地に合うように・・・
というものだったそうですが
この細かな装飾にそんな枠には囚われない
情熱を感じます。


学校教育への関心の高さが感じられる
可愛らしい校舎をすみずみまで見学してみよう!



第三章 「軍都」としての金沢


実は金沢には日清戦争後
第九師団が置かれた歴史があり
今も軍の施設だった建物が多く残っています。

◆旧陸軍第九師団司令部庁舎


まさに軍の施設という
規律正しく左右対称
統率がとれたように縦長窓が並ぶこちらは
明治31年に建てられました。

現在は国立工芸館として利用され
内装はほぼ展示室になっていますが
中央の階段に司令部だったころの
面影が残っています。

◆旧陸軍金沢偕行社


旧陸軍第九師団司令部庁舎に隣接
国立工芸館の事務所兼貸スペースとして
利用されている旧陸軍金沢偕行社。

こちらは明治42年
将校たちの親睦をはかる場所として建てられました。
司令部庁舎とは逆に
交流の場らしく華やかな外観です!

この2つの建物は元は別の場所にあって
工芸館として利用するために移築、復元されました。


全く違う役割だった二つの
陸軍施設を見比べることができる貴重な場所。

さらに工芸品の鑑賞もできるので
行く価値しかないです!


◆旧陸軍第九師団長官舎


その名の通り
師団長の寝泊りする施設だった建物。
大正11年に建てられました。

現在は石川県立美術館広坂別館として
ギャラリーやイベントスペースに
使われています!

貴重なのが当時のまま残る照明や暖炉。

戦前から残る邸宅や施設は戦後米軍に接収されて
家具など残ってないことが多いのですが
ここは接収されても残っていて
当時の文化や技術を知ることができる
貴重な資料となっています!

軍の施設でありながら
生活の様子を感じる建物に
思いを馳せてみてはいかがでしょう?



◆旧金沢陸軍兵器支廠兵器庫


全長90メートル2階建ての建物が3棟も建ち
その迫力に「うおぉ!」と声がでるこちらは
兵器、弾薬、機材の補給や備砲工事を
担当した陸軍機関の金沢支部。

現在は第一、二棟が石川県立歴史博物館
三棟が加賀本多博物館となっています。

鉄製両開きで鉄格子の縦長窓は
国内に残る他の陸軍兵器庫にも共通する特徴で
軍事施設だった歴史を色濃く残しています。

迫力の煉瓦倉庫と
金沢の歴史を学びに行きましょう!




さあ、今すぐ旅に出よう!


長々と紹介してきましたが
いかがでしたか?
気になるスポットはありましたか?

全部巡っても良し
気になった所だけ行っても良し
旅行計画の参考にしてもらえたら
嬉しいです😆

ちなみにここで紹介した建物は
ほんの一部で
まだまだ他にもあります!
私も全部は巡りきれてないので
また順次紹介していきたいと思います!



ここまで読んでいただき
ありがとうございました!
また次の記事も読んでもらえると
ご主人帰ってきた時の犬くらい喜びます😆
それでは〜

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