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必然だったみたいです。

昨夜大きなじ地震がありました。
怖かったです。

11年前はもっと長くてもっと大きな揺れを経験していましたが平気になれた訳ではなくて段々怖くなっているような気がします。

11年前の自分はもっと呆然としていて、もっと追い詰められたような気がしていて、とにかく必死でした。

何もわからずできない中でただ目の前のことに必死になっていたような気がします。

そして今またこんな地震が起きてしまって驚いたりショックを受けたりしている人がいるのだとしたら、悲しいと思っています。

地震が起こってしまったことでたくさんの人たちが生活を歪められ、傷つき、大切なものを失いました。

だけど必死に頑張って今を生きています。

起きてしまったことはどうすることもできません。
できるのはその中でできる限りのことをひたむきにすることだけです。

それはどんな生活をしている人も同じような気もしています。

最近読んでいる『それでも生きる』というテキストは、そういう私の今の気持ちを動かして前に進めてくれるような内容だから今読めてよかったと強く感じています。

生きることはどんな状況にいる人にとっても楽ではないし必ず痛みを伴うもののような気がしています。

だからこそ指針を必要とする人がいます。

その指針をどこに置くのかが大切なのだとも感じています。

深く重たい内容の小説が読み継がれているのはどうすることもできない状況を生きるしかなくなってしまった人たちがその状況を乗り越えてより良く生きていくための力を得たり何かの指針にするためのものなのかもしれません。

子どもの頃の私が必死に本を読んでいたのは、その中に自分が生きるための何かを探していたということのような気がします。

それは多分今もずっと続いていていつまでも終わらないような気がします。

生きることを諦めず、明るい方に向かいたい。

私がしたいのは競うことではなくて、自分の書きたい物語を作っていくことだということがあらためてよく分かりました。

今まで見えなくて迷い続けていたことが段々とはっきりしてきたような気がしています。

『それでも生きる』のテキストには今の私に必要な大切なことがたくさん書かれていました。

偶然出会った本ですが、必然だったと思います。

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