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「100日後に死ぬワニ」から学ぶ

Twitterの4コマ漫画が完結しないので、その後の行方に後を引かれ気になりながら一日1投稿を楽しみにしていました。100日が経過しても、後ろ髪をひかれ多少ロス状態です。(#恋づつ ロスではなく…)

ふと、何気に思い出したことが2つあります。
年賀状の返信に、同級生のご家族から「〇〇は5月に急死しました。連絡不足で申し訳ございません。」という丁寧なあいさつがきたとき、ふと、日常が途切れる怖さと、毎日を大切に生きなければ、という想いが交差し、彼女の笑顔が脳裏から離れませんでした。嘘でしょう。もう信じられませんでした。
別件で、同じ時代を生きてきた仲間が急に旅立った時は、彼のアカペラ魂が葬儀後も後を引く出来事がありました。1週間後のゴスペラーズのコンサートのチケットが彼の財布に入ったままだったのです。その席には選ばれし友人が故人をしのび、泣きながら席につきました。毎年お盆の前には、ゴスペラーズが織りなすメロディと夏の夜空に哀悼を感じてしまいます。そして鮮明な記憶が蘇ってきます。

あなたにも、大切な人がこの世から亡くなる経験があることでしょう。これから経験をするかもしれません。
誰も自分の寿命はわからない。健康な人ほどわからない。運命や命は自分ではコントロールできないものです。

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人生100年時代といわれていても、寿命はわかりません。せめて日々の何気ない日常の中に「今の私は生きているだけで幸せだ!」という、今ココの想いはでてくるのでしょうか。人の欲望は尽きないものなので、今を生きる事の大切さを脳裏に置きながら、今が一番幸せだと口に出せる人がどれだけいるのでしょうか。皮肉なことに、余命は医師から宣告を受けた人にしかわからないので、幸せの実感を普段から言葉にできる人は少ないかもしれません。

私がカウンセラーとして働く中で、クライアントさんから気づかせてもらった事が多くあります。余命を宣告された人もされない人も、病気と闘っている人は「生きていれば、それだけでいい。」という言葉や想い、そして心の底からの優しさや慈しみが言葉や表情に出てくるのです。まだ世間を知らない若い人ほど一日の景色を大切に味わっている。辛い思いをしたからこそ、気付けたものを大切にしています。絶望的な思いを味わってきた人達が、スッと人の次元を超えた神様に見えることもあります。その人さながらの終活の準備もあり、残される側も慈しむ心の準備ができます。心だけでなく、具体的な生活の変化に対する準備も、です。どこに大切なものがあるのかも含めて。

闘病中の方は、そのこと自体が生と死を感じながら過ごしていますが、今回のワニくんのような、当たり前の生活を当たり前に過ごしている人には自分が世の中から消えることを予測もしません。

自分がいなくなったら、家族や周りの人はどんな言葉を発するのだろう。何に困るのだろう。何を大切にしていくのだろう…。

忘れていたけど大切なことに気づかせてくれた「100日後に死ぬワニ」の存在は、身近な生きた教材です。自分と向き合うことも含み入れた心の時代を味わい、毎日を大切に生きていきましょう。

※Twitterより きくちゆうきさんの画像を引用させていただきました。今後もご活躍を期待しております。有難うございました。

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