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銭湯に囲まれた町で、日常を温め直す。

先日、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を観に行った。映画の中で、本筋とは関係ないが個人的な記憶に結びついたシーンがある。
序盤で登場した2軒の公共浴場の看板には、『記念湯』『新生湯』と、書かれてあった。まったくの偶然かもしれないが、この2軒は我が家の近所にある銭湯と同じ屋号なのだ。

私は、大田区の中でも品川区との境界近くに住んでいる。
大田区は23区のうち銭湯の数1位を誇っている。品川区とあわせて60ヶ所ほどの銭湯を抱えている、なかなかの銭湯密集地である。さらに、このあたりは黒湯温泉が採掘されるので温泉銭湯が多いという特色があり、家に風呂がある家庭でもわざわざ銭湯を利用する動機になっている。

私も、子どもの頃にはよく日曜日に友だちと誘い合わせて銭湯に入りに行った。古き良き下町テーマパーク風の、日常の合間に句読点的に差し込まれる『非日常』といった感じの体験を楽しんでいた。
もちろん、風呂上がりにラムネを飲むのを忘れてはならない。普段は炭酸飲料を飲むことを禁じられていた私にとって、これもまた非日常的な楽しみだった。

しかし、銭湯の数は年々減っている。23区内の銭湯は、今では455ヶ所にまで激減しているのだ。たしかに、私が子供の頃は今よりもっと銭湯が多かった。家から徒歩3分のところに、銭湯があと2軒あったのだ。

最近では、設備の再投資が必要になったタイミングで廃業するパターンが多いようだ。一方で、再投資を機に一気にリニューアルを敢行したり、若い経営者に代替わりしたりと、攻勢に転じるところも最近では目に付くのだ。

3つのケースを紹介しよう。

◇ ケース1 健康増進型銭湯『新生湯

” 東京都が「銭湯(公衆浴場)を町の健康増進拠点に活用していく」という事業の第1号店 ” であり、デイケア事業も手掛けている、『地域密着型』の銭湯。

◇ ケース2 若い経営者が作る「場」『東京浴場

” 日本各地で後継者難に悩む経営者に代わって、お風呂屋さんを運営するニコニコ温泉 ” が目をつけ、IT企業から転身した店長を中心に『図書館』をコンセプトにしてリニューアルした銭湯。

◇ ケース3 2種類の温泉を採掘『清水湯

黒湯温泉に加え、” 100パーセント源泉かけ流しで、東京でも珍しい黄土色の温泉は貴重な太古の海水温泉。 ” という2種類の温泉を銭湯価格(470円)で楽しめる、コスパ抜群な温泉銭湯。


こういった個々の銭湯事業者の工夫や頑張りに加え、昨今のコロナ禍において住民たちのライフスタイルの変化、いわゆる巣ごもりが定着している。この背景から、最近では休日のレジャーの場として銭湯の存在が再評価されている。

また、最近ではランステ利用のニーズが増えており、それに対応するかたちでレンタルタオル無料・シャンプーやボディソープは備え付け、というシステムが主流になりつつある。

ランナーである私にとって、これは非常に喜ばしい傾向である。ランニングが趣味ではあるが、休日に走ることを億劫に感じてしまい、なかなか走る気が起きないのだ。布団を干したり花瓶の水を変えたりとグズグズと午前中を過ごし、「早く走らないと酒が飲めないな」という不健康なモチベーションで、昼過ぎにようやく走り出すのが常だった。

去年の今頃、緊急事態宣言が東京都に発出された時期に、私は「これではいかん」と思い立った。休日に走る習慣を途絶えさせないために、銭湯を利用することにしたのだ。走り終えた自分自身に、「銭湯に入る」というご褒美を用意する作戦である。
そして作戦は大成功を収め、今に至るまで休日のランニングを継続できている。

銭湯をゴールにした、ご近所ラン。その様子を、以下に紹介しよう。

休日の昼下がり、ランニングウェアに着替えた私はリュックに着替えを詰め込む。お気に入りのランニングシューズに足を通し、家の前で準備体操を入念に済ませたらAirPods Proを装着し、AppleMusicとStrava(ランナー向けSNS)アプリを起動する。準備は万端だ。スタートしよう。

家から半径5km以内の範囲で、だいたい5~10kmくらいの距離を走っている。スピードにこだわっていたころは、頑張ってキロ5分台前半で走っていた。しかし、別に健康のためでも体力づくりのために走っているわけでもない。なので、最近は ロング・スロー・ディスタンス という、フォーム固めを主眼に置いてゆっくり走るスタイルを心掛けている。ペースはキロ6分前後、10kmをだいたい1時間かけて走破するペース配分だ。

幹線道路の歩道はとても走りやすいが、景色に変化がなくつまらない。あえて脇道にそれて、延々と続く商店街(特にアーケード)を走る。また、極力路地裏に入り込むようにする。

幹線道路を外れて走ると、家々の軒先に並んでいる花などの色やかたちの豊さに目を奪われる。また、自動車のエンジン音が届かなくなり、生活音や自然音もクリアになる。せっかくなので、AirPods Proを外して進む。花の名も鳥の名もほとんど知らないが、その分余計な解釈を加えることなく、ありのままに近いかたちでそれらを享受する。

ゴールはその時の気分で使い分けるが、最も気に入っている銭湯は中延『松の湯』だ。家から1.4kmなので帰るのが楽で、近くにちょい飲みできる店も多い。そしてなにより、銭湯自体の魅力が群を抜いているのだ。

まずは、その外観。昔ながらの宮造りだ。立派な瓦屋根が、この地域に根差した歴史と風格を感じさせる。
履き物を脱いで中に入り、フロントで料金を払うスタイルだ。最近では、番台方式は殆どの銭湯で廃止されている。さらに、ここでは支払いにsuicaも使えるのだ。現金を持ち歩かなくてもよいので、ランナーにとって便利だ。
しかし、お婆ちゃんがフロントを担当している時だけは、現金会計にしている。なぜなら、お婆ちゃんは機械の操作がおぼつかなく、suica会計のたびに電話で家族を呼び寄せて対応するからである。

会計を済ませたら、脱衣所で汗に濡れた衣服を脱ぎ去って、浴場に入る。
浴槽はバラエティに富んでいる。ジャグジーや電気風呂に、入浴剤入りの風呂もある。そういえば、ここで使われる湯は地下水をくみ上げてボイラーで沸かしているのだが、最近になって温泉成分が混ざっていることが発覚したらしい。なので唐突に『中延温泉』を名乗るようになった。

また、水風呂も設置されている。肩まで浸かり1分くらい入っていると、震えあがるくらいの冷たさだ。
追加料金を払うとサウナにも入れる。こちらもしっかりと暑さを保っているので、ポイントが高い。
そして、屋外には露天風呂もある。ここでは、浴槽に浸かる他にも外気浴を堪能できるのだ。風通しの良さが心地よい。

こうした、ちょうど良いゆるさを持って淡々と営業しているスタンスと、一方での安定した高いクオリティが相まって、松の湯は我がフェイバリット銭湯になったのだ。

銭湯に入るために走る。走る過程で発見があり、半径5㎞の世界の解像度が上がっていく。そうして、単色だった日常が様々な彩りを帯びていったのだ。

今では、銭湯で過ごす日常がかけがえのないものとなっている。子どもの頃銭湯に感じていた「日常の合間に句読点的に差し込まれる『非日常』」は、「単調さによって冷めた『日常』を温め直す」存在に変化したのだ。




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