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信州で 松本城と 善光寺 中山道の 宿場を走る


① 善光寺参道を走る


仕事の都合で、10月から長野市に住んでいる。

長野県内には、つい最近までほとんど足を踏み入れたこと事がなかった。しかし、ここ一年ほどで立て続けに県内のあちこちを訪れたり、私の趣味であるマラソンの大会に参加する機会があった。さらに、同じタイミングで仕事の縁がつながったのだ。

なじみのない土地での暮らしは慣れないことだらけで、自分では気づかないところで疲れがけっこう蓄積しているようだ。東京で暮らしていた時は休日に近場を走ることを習慣にしていたのだが、長野ではなんとなく気が乗らず、走る頻度が激減した。引っ越してきてすぐに一度だけ、部屋から千曲川まで往復8kmほど走っただけだ。

それでも、ある日仕事で訪れた道の駅に貼られていたあるポスターを見て、「ちょっと走ってみようかな?」と心境に変化が訪れた。

善光寺表参道イルミネーション
 長野駅から善光寺までの善光寺表参道(長野中央通り)が、41万球のLEDで光の参道に。”

『長野市ホームページ』より

善光寺の表参道に施されたイルミネーションの中を走る。久々に走るには丁度よいきっかけだ。

11月の終わり。平日の仕事上がりに、自宅から善光寺まで走すことにした。およそ2ヶ月振りの長野でのラン、スタートだ。

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私の住まいであるレオパレスを出発し、長野バイパスに出てしばらく進む。この道路は日中ほとんどの時間帯、渋滞している。今は19時過ぎだが、それでもなかなかの交通量がある。このバイパス沿いに私が週4日出勤している会社があるのだ。

私が借りている社用車もここの駐車場に停めてあるのだが、

マイ社用車(スバル フォレスター)と、愛用のノルディックポール

どこに行くにも必ずこの渋滞を越えていかねばならない。これが、けっこうなストレスになっている。

道が混んでいること自体もストレスなのだが、じつは根源的なストレスの源は別に存在しているのだ。私は運転免許を取得して以来26年ほど経っているが、まったく実際に運転をしていなかった生粋のペーパードライバーなのだ。慣れない土地での仕事と同じくらい、この運転が日頃の疲労やストレスの源になっているのである。

バイパスを進むと、交差点に差し掛かった。大きな歩道橋が架かっている。長野市には歩道橋が多く、また歩行者用の地下通路も散見される。
長野の市街地は押しなべて道が狭く車線も1車線がデフォルトであり、また頻繁に脇道からの合流がある。劣悪な道路事情で車の通行と歩行者の安全を両立しようとすると、このようなインフラを整備するしかないのだろう。

ここで右に折れ、国道19号に入る。長野駅、そして善光寺に向かう幹線道路だ。先ほどのバイパスからここに至るまで歩道が車道と完全に分かれていて、身の安全に気を遣うことなく走ることができて心地よい。

日本の地方都市周辺にあるどこの街でも見られるような、ロードサイドにチェーン店や量販店が立ち並ぶ国道を進んでいく。風景を楽しむ観点からすれば、あまり楽しいランではない。一方で、やや肌寒い気候も相まってなかなか快調なペースをキープしている。
線路を越えるところで道路は地下に潜る。右側の歩道はここで途絶えてしまうので、左側の歩道に移動して進む。地上に戻るとすぐに右側の歩道に渡り、さらに進む。市役所を過ぎだんだん賑やかになってきた歩道をなおも進んでいくと、ようやく善光寺参道にぶつかった。

ここを右に曲がり、いよいよイルミネーションの中を走り抜ける。

長野駅からも近い観光地ではあるが人通りはまばらだ。交通量もさほどではない。私はこの煌びやかな参道を、たいした邪魔もなく存分に駆け抜けることができた。
緩やかな上りを、1,400年の歴史を持つ善光寺に向かって進んでいく。

沿道には、蕎麦屋をはじめとして観光客をあてにしているような店舗が数多く並んでいる。参道を駆け抜け、善光寺の大門を越える。イルミネーションはここで途絶え、この先は土産物屋や飲食店が軒を連ねる仲見世通りになる。

ほとんどの店舗が店じまいをしている中、営業しているスタバの存在がイルミネーション並みに目に焼きついた。

さらに本堂まで進んでいく。

多少の参拝客はいるが、夜間だけに静寂に包まれた空間になっている。本堂でのイベントは12月10日からなのだ。

本堂を折り返し地点にして、部屋に戻ることにした。
参道には戻らずに左に折れ、適当なところで街道に合流しようという算段で、側道を進んでいく。往路の道のりとは一転して、古くから存在するであろう細い路地を縫っていく。

車もおいそれとは入って来れないであろう路地を下っていく。長い歴史があり、そして今も紡がれている暮らしの片鱗を感じながら、帰路を急いでいく。
引っ越してきてからずっと感じることができなかった地域の人たちの「生活」を、ここでようやく感じられたような気がした。

「本堂のイベントが始まったら、また来ようかな」 そう思いながら、善光寺を後にした。

② 松本城下町を歩く

12月9日、金曜日。私は長野駅から松本駅に向かっていた。車窓から望む、頂上に雪化粧を施した北アルプスの稜線が美しい。

今日は週に一度の通学日で、松本市にある大学のキャンパスに向かっているのだ。

そもそも私が長野県に居を構え職場を得たのは、大学の客員研究員として学びながら地域企業で働き、地域の課題解決をサポートするプログラムに参加したからだ。
今年は、私を含めて4名が研究員に任命された。大手企業の海外法人で責任者をされていた方や信州大学OBのマーケターの方など、私以外は錚々たるメンバーだ。周囲を見渡すほど、なんで私がここにいるのか? 場違いな感じが否めない。それでも教授の話によると「信州で産学連繫に携わる食のスペシャリストは20人くらいしかおらず、人材不足」とのことだ。たしかに、飲食業には過剰な現場主義が蔓延っていて、それがDX化や他業種連繫を阻んでいる実態がある。私にも何か役に立てることがあるのなら、ぜひこの機会にチャレンジしてみたい。

などと抱負を語っている間に、大学でのゼミは終了した。研究員仲間と一時間後に松本駅前の居酒屋で待ち合わせることにして、一旦解散となった。駅まではバスで出ることができるのだが、まだ時間には余裕がある。私はカバンの中からポールを取り出して、ノルディックウォークで松本駅に向かうことにした。

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日が傾いている時間帯の松本市街を、松本城に向かって進んでいく。
まずは、善光寺街道を南下する。この道はかつて善光寺参りをする人たちでごった返していたそうだ。いわずもがな、善光寺があるのは松本市ではなく長野市だ。参拝客はここから山を越えて参拝したということだ。娯楽が少ない時代とはいえ、ものすごいバイタリティである。

さらに進んでいくと、銭湯や昔ながらの商店が建ち並ぶ通りを過ぎ、右手には松本城の総堀跡が現れる。なおも進むと、今度は大正時代に建てられたとおぼしき建造物が目につく。上土通りだ。

“ 松本城から間近の上土通りは、明治末期以降、松本市民の庶民文化の先端を行くハイカラな街として栄え、商店街として発展してきた歴史があります。(中略)現在では「大正ロマンの街」をコンセプトに市民と行政が手を取り合ってまちづくりに取り組んでいます。”

大正ロマンただよう「上土通り」

右手には映画館がある。いや、既に閉館した映画館跡地のようだ。まるで今も営業しているかのように、当時の外観・看板や備品などがそのままになっている。

さらに進むと、今度は左手に映画館を発見した。いや、ここも既に閉館した映画館跡地だ。しかしこちらの方は多目的ホールとして現役で稼働しているようだ。かつては中心地だった通りのレガシーを地域資源として活かそうという気概が感じられた。

橋の手前の四つ角を右に折れ、女鳥羽川沿いを進む。
少し進むと、縄手通りに入る。なぜかカエルをモチーフにした置き物やら暖簾やらがあちらこちらに散見される。

“ 昔はお祭りの露天のようだったお店も、2001年に現在のような長屋風の店舗に生まれ変わり、昔ながらの金物屋さんや花屋さんから、オシャレな雑貨屋さんまで色々なお店が元気よく営業しています。”

「信州・松本なわて通り商店街」

交差点を右折し広い道をまっすぐに進んでいくと、突き当たりにそびえ建つのが国宝松本城だ。

ライトアップされ、その白壁が昼間とは違った色調で浮かび上がっている。
平日の夕刻であるが、数十名の見物客が見受けられる。どうやら、この後に「レーザーマッピング」なるイベントが行われるようだ。

お堀に近づいてみる。お城を眺めながら歩いていたらうっかり足を滑らして落ちてしまいそうなほど、手すりも何の仕切りもなくすぐ目の前に水辺がせまっている。

手すりがないということは、視界を遮るものがないということでもある。お堀の水面に映し出されるお城の全貌を余すことなく堪能できる。しかも、比類なきレベルで内堀ラインぎりぎりにお城が建てられており、逆さ富士ならぬ「逆さ城」が成立している。
歴史的にはさほど重大な出来事に関わっていないこの松本城が現在こんなにも愛されている理由は、このサイズ感とフォルムにあるのだろうと、実感した。なにしろ、まるで大きなジオラマのような佇まいなのだ。

さて、そろそろ待ち合わせの時刻が近づいている。レーザーマッピングを鑑賞するのはまたの機会にして、先を急ごう。
市街地を抜けて、松本駅前へと進んでいく。この通りにもイルミネーションが施されている。

長野市の駅周辺と比べて、松本市の方が人通りが多く、この時間でも開いている店が目立っている。通行人の年齢層も若めだ。地方には珍しい光景である。

そういえば先日、吉祥寺から松本に移住した知り合いと話す機会があったのだが、移住の決め手として「文化的な雰囲気があったから」だと言っていた。地域の人たちと移住者がコラボしながら、いろいろと面白いイベントを開催したり、他の地方にはあまりないようなアート的な特色のあるお店を出したりしているようだ。

イルミネーションに目を奪われている間に、どうやら私は松本駅近くまで戻っていた。スマホに視線を落とすと、「お店に入りました。座敷の一番奥の席です」とLINEが入っていた。
待たせるのも申し訳ないし、乾いた喉を潤したいところでもある。お店までラストスパートをかけよう。

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松本市在住の研究員仲間が勤務先の同僚から紹介されたという居酒屋は、地域の食材を使った料理も旨いし地酒のラインナップも豊富で、最高だった。

すっかり上機嫌になった私は長野市まで帰ることをあきらめ、駅前のカプセルホテルに宿を取り、一夜を過ごしたのであった。


③ 旧中山道奈良井宿を歩く


12月10日、土曜日。前夜の酔いもすっかりと覚めた私は、せっかくなのでちょっと寄り道してから長野市に戻ることにした。

松本駅から長野駅とは逆方面に向かう中央西線に乗り込み、40分ほどで旧中山道の宿場町、奈良井宿に降り立った。

” 奈良井宿は江戸側の板橋宿から数えても京側の守山宿から数えても34番目に位置する、中山道の丁度真ん中の宿場町です。(中略) 町並みは国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、往時の面影を色濃く残しています。”

『奈良井宿観光協会』ホームページより

駅を出て街道に向かうと、まず目につくのは街道の先にそびえる山の姿。

中央アルプスとも称される木曽山脈は、島崎藤村の『夜明け前』で「木曾路はすべて山の中である」と書かれたように、中山道はそのほとんどの区間が山間を通り、その宿場町も四方は山ばかりということが多い。

などといっぱしの講釈を垂れている私ではあるが、じつは長野に住むまで木曽全域は岐阜県だと思い込んでいた。木曽が長野県だと知り、せっかく長野にいるのだから木曽にも足を運ぼうと思ったのだ。

では、さっそくノルディックポールをセットして、奈良井宿を四足歩行で進んでいこう。

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真っすぐに伸びるメインストリートを進んでいく。車で来ているとおぼしきシルバーカップル層に、青春18きっぷを使って各駅停車の旅をしているバックパッカー、さらには中国語を話す外国人観光客の姿が目立っている。すれ違った老婦人が「昔はすごい人混みで前に進むのも一苦労だったのよ」と話しているのが耳に入った。

道の両側には、江戸時代から続いている出梁造りの建築物が連なっている。

観光客の目からしたら風情があって良いのだが、この地にも人々の暮らしがある。夏の暑さと冬の寒さを如何にして凌いでいるのだろうか?

そういえば、先日受講した大学のオンラインゼミで「奈良井宿にある店舗に新たに入居する人は多いが、営業時間が終わると家に帰ってしまうので夜になると人口が減ってしまう問題がある」という話があった。通い店主問題というらしい。
観光地としての価値にプラスして暮らす場所としての価値が必要なのだろうな、と感じた。

進んでいくと、水場が現れた。

” 奈良井宿には、合計6つの水場があります。かつては中山道を往来する人々の喉を潤したり、生活用水に使われたり。また、火事の際に、すぐに消火ができるようにという役割も果たしていました。そんな水場は現在も、奈良井に住む人々にとって欠かせない存在となっています。夏にはスイカを冷やしたり、打ち水をしたり。。。奈良井を彩る花々に水をあげたり。。。”

『徒然なるブロブログ』より

山間にある集落には不便が多いだろうが、水には困らないという利点があるようだ。

街道の端まで至り、駅に向かって戻ることにした。途中で街道を外れ、川沿いを進んでいく。観光地を道一本離れるだけで、特色のない田舎道になる。

駅を越えたあたりに道の駅があった。

道の駅といえば駐車場とトイレ以外にも売店や食堂などがあり、また地域の情報発信基地のようなイメージを持っていた。しかし、ここでは情報発信スペースは無人で運営されており、売店もあるにはあったが品揃えはスカスカであまりやる気が感じられなかった。

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気を取り直して、ランチを採ることにする。囲炉裏のある古民家をカフェにリノベーションしたお店に入る。

山菜入り雑炊セット850円也を注文した。

10分ほどで提供された雑炊は塩味がちょうどよい具合に利いていて、かなりの美味だった。

店主と少し話す。「昼のこの時間だけちょっと忙しくて、あとは全然ダメだね」とのこと。

すっかりくつろいでいるうちに、復路の電車の時刻が近づいてきた。駅に戻ろう。


④ ふたたび善光寺を走る


12月12日、月曜日。
一日オフィスでデスクワークをして、19時頃に帰宅した。なんか身体がこわばっている感じがして、少し運動をして全身をほぐしたい気分だ。
「そういえば、善光寺本堂のイルミネーションが始まっているはずだ。行ってみようかな?」と思いつき、善光寺まで走ることにした。

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往路は先日と同じく、国道19号を進んでいく。二週間ほどの間に季節は晩秋から初冬に移行していたようで、吹き付けてくる風に肌をたたきつけられる。山から下りてきた空気は澄み渡り、清涼感すら感じる。

善光寺大門の近くまで進む。イルミネーションの見物客とおぼしき人たちとすれ違う。平日とはいえ、なかなかの賑わいを見せているようだ。

さらに進み、大門を越える。

蓮をモチーフにしたであろう展示物があり、左右に鎮座している仏像群もライトアップされている。光が当たっているというより、浮かび上がっているように見えるライティングが施されている。

そのまま、本堂の前まで進んでいく。

神秘的な音楽に合わせて、プロジェクションマッピングが行われている。そういえば、善光寺本堂の先には県立美術館があり、この一帯は今でも市内随一の文化的スポットなのだ。

続いて、本堂の中に入る。この中でもプロジェクションマッピングが行われており、このイベントに限り堂内撮影可となっているのだ。

堂内の暗闇に、般若心境や蓮などが映し出される。1セット3分くらいのアトラクションが繰り返されている。堂内でのイベントに気づいていない見物客も多いのか、外よりも人気は少なくてじっくりと鑑賞できた。
贅沢なひと時を過ごしすっかり満足した私は、肌寒さが増してきたこともあり帰途に就くことにした。

大門を出て参道を下っていく。
大学のゼミで聞いた話だが、この参道の脇道にはけっこう築年数の古い建物が多数残っていて、ここでも空き家問題が生じているそうだ。この状況を打破しようと官民連携で空き家のリノベーションが盛んに行われており、全国でも屈指の成果を上げているとのことだ。
今度は街が動いている昼間の時間帯に足を運んで、ゆっくりと見物しよう。

参道をしばらく進んだ先を左に折れ、今度は権堂のアーケードを進む。

江戸時代には善光寺参詣の精進落としの水茶屋が栄えたそうで、昭和の時代には大層にぎわった歓楽街だ。しかし、娯楽や商業の中心がロードサイドに移ってしまったため、現在では見る影もなく閑散としてしまっている。キャバクラの客引き以外に人影はほとんど見当たらない。とはいえ、ランナーとしては障害がなく思いのままに走れるので、とても快適だ。

参道に宿場町、城下町。はたまたアーケードにロードサイド。街の中心は時代と共に移り変わっていく。「リノベーションするには、このアーケードの建物たちはまだ歴史が中途半端なのかな?」などと考えながら、私は家路を急いでいく。

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転居して以来、無機質な地だと感じていて心理的に距離を感じていた。そんな長野市にも街の輪郭を発見することによって、少し親近感が沸いたような気がした。ロードサイドからの善光寺詣り、お気に入りのランニングコースに加えることにしよう。

これからの長野暮らしの楽しみが、ひとつ増えたのであった。



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