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【童話】土と太陽

 ほんのすこしだけ昔、かふふ盆地ぼんちの真ん中らへんに、のぶじいさんのぶどう畑がありました。
 かふふ盆地は、まわりを山々に囲まれて、すりばち状にへこんでいます。空高くのぼる太陽から見ると、大きなパラボラアンテナのようです。
 のぶ爺さんのぶどう畑は、日あたりも風とおしもばつぐんで、広々としていました。ずらりと並んだ木の枝に、ぶどうの赤ちゃんが芽吹めぶくのは、のどやかな春でした。そして、暑い夏をものともせず、すくすくと成長する沢山のぶどうは、さわやかな秋に、しゅうかくの時をむかえました。毎年、たわわな実りになったのは、のぶ爺さんが手塩にかけて、土から育てたおかげです。
 畑の土は、しあわせでした。この場所に生まれて、本当によかったと感じていました。

 ところが――
 冬のある日、いてつくような風にのって、よくないうわさが聞こえてきました。なんでも、畑のもちぬしが、のぶ爺さんではなくなる、とのことでした。その話をしていたのは、近所に住んでいる人たちでした。
 畑の土は、のぶ爺さんに捨てられるような気持ちになり、とっても悲しくなりました。そして、これからどうなってしまうんだろうと、不安にもなりました。畑のまわりでは、人の家やお店がふえて、自然がだんだん壊されていましたから、コンクリートで固められてしまう気もしました。

 太陽は、そんな土の様子を空から眺めていました。
 ぽかぽか陽気になってきても、日に日に元気をなくしていく土を見かねて、「どうしたんだい?」と声をかけると、「なんでもないよ」と返事がかえってきました。
 空は、からりと晴れているのに、土の体は、じわりと湿りをおびました。

 次の日、太陽は、姿をかくしました。おともだちの雨雲あまぐもをもくもくと呼びよせて、春の雨をけむるように降らせました。それは、泣いてもいいんだよ、というメッセージです。
 土は、わんわんと泣きました。体じゅうがびしょ濡れになりました。
 泣きやんだころ、雨もやみました。空に晴れ間が見えてきて、のぶ爺さんが自転車で畑にやってきました。土は、まだぐしゃぐしゃに濡れていましたが、のぶ爺さんは、土の気持ちをさっしたように、泣きつかれた体にやさしく触れました。そして、「なにも心配いらないよ。この場所はね、みんなの心のふるさとに生まれ変わるんだ」と語りかけました。
 土は、ほっと安心しました。のぶ爺さんに見捨てられるわけではないと分かったからです。
 太陽が「よかったね」と微笑んで、空にはうっすらとにじがかかりました。

 ほどなくして、ぶどう畑の開発がはじまりました。大きな工事は、のぶ爺さんによる最後のしゅうかくを待ちました。
 最後の実りは、とても少ないものでした。ぶどうの木の多くが、二十年以上を生きて、寿命をむかえていたからです。
 のぶ爺さんは、目に涙を浮かべながら畑のなかをめぐり、一本一本の木に、「これまでありがとう」と伝えました。

 秋から冬にかけて、ぶどう畑は、ぽっかりとした空き地のように変わっていきました。
 土は、ふたたび不安な気持ちになりました。しずみこんでしまいそうなこともありました。そんな時は、のぶ爺さんの言葉を信じて、絶対に大丈夫、と自分を言い聞かせました。
 太陽は、冬が苦手です。力強いひかりを送れませんでしたが、ぐっとたえしのぶ土を見守り、「がんばるんだよ」とあたたかいエールを送りました。
 それは、のぶ爺さんも同じでした。正式なもちぬしではなくなっても、土にそっと寄り添いつづけました。

 やがて、土の大部分は、でこぼこの丸裸になりました。ぶどう畑は、一部だけ残されました。
 近所の桜が、いっせいに咲いたころ、けがれのない白衣はくいに身をつつんだ人たちがあつまってきました。とりおこなわれた“じちんさい”というお祭りのなかで、その場所のあたらしい名前が発表されました。
 のぶ爺さんのぶどう畑から、“ことだまのにわ”へ。
 土のうえに広がるからっぽが、宇宙のはじまりのように動きだしたのは、あたらしい名前がときはなたれた瞬間です。
 きらきらとひかる風が、土の肌をふうっとなでました。

 生まれ変わった場所は、時空をかろやかにこえる発展をとげて、さまざまな自然を次々に取り戻していきました。
 みかづき型の池、しんせんな水をとおすほり、緑ゆたかな芝生しばふ、かかしの立つ田んぼ、里山をおもわせる丘、かやぶき屋根のあずま屋、かたすみに残るぶどう畑――
 そこには、季節ごとのうつろいがあります。花々が咲いて、水のせせらぎが聞こえて、生き物たちがあつまります。みんなが平等に、おともだちになって、“ことだま”がさきわいます。まさにお国の原風景げんふうけい、じょうちょあふるる心のふるさとです。

 土も、ふるい記憶をたどるように、なつかしい気持ちになりました。同時に、ほこらしい気持ちにもなりました。ふっこうしていく文化の土台として、お役に立てるのですから。
 太陽が「やり甲斐がいがあるね」と声をかけたとき、土はけっして偉そうにならず、「きみのおかげだよ」と答えました。そして、「これからもよろしくね」と笑いあいました。

 ことだまの庭は、今日も土と太陽の匂いにいだかれて、和の精神せいしんをはぐくみ、その大切さをはっしんする場所です。

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