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25歳という8年前の自分

25歳の時の日記を読んでいる。当時もメンタルの調子が悪く休職をしていた。周囲の人には言えない弱音を吐き出したくて藁にも縋る思いでブログを書いていたとき。昔の記録が何かの手がかりになる気がして何度も読み返している。

同期と飲んで職場の話をきいたら胸の中がなんだかザワザワした。帰宅後そのザワザワを消すために自宅でハイボール作って飲んでたらめちゃうまくてこんな時間だ。1ヶ月前に会社を休職した。激務営業への異動と父親が体を壊したのが重なったので仕方ないんだけど「なんで仕事頑張れなかったんだろ」と自分のこと責めてる。せっかく三年間頑張ったのに出世コース外れちゃったなと悔しく思う気持ちまである。おかしいよね、決めたの自分なのに。でも今のこの状態と似た感じを体験したことがある。黒歴史すぎて思い出したくないけど、高校1年生のとき、新しい人間関係に馴染めなくて、どんどん不安が強くなり、最初の学期は数えるほどしか学校行けなかった。そのときも「いよいよドロップアウトか〜」とか思ってた。けどその後、何食わぬ顔で学校に通って卒業した。15歳の時のクラスメイトが乗っている通学のバスに乗る時のどうしようもない不安、自分の顔を見たくなくて朝に鏡をみないように髪のセットするあの感じ。友人にどう思われるかが怖くてしかたなかったあの自意識、今でも鮮明に思い出せる。大人になった今ではその感覚もコントロールできるようになったし、あの時期があったのも後悔はしてない。けどそれは学校にいけなくてもなんとかなったからなのかもな。今この状況を10年後の自分がどんな風に感じるんだろう。今日は眠いやおやすみ。

25歳の時のブログ

振り返ると高校生の時も25歳の時も憂鬱な時期と環境の変化が重なって耐えられなかった。自分は思ったよりも環境や人間関係の変化に弱いのかもしれない。まだここから10年は経っていないけど、今も同じような状況にいる。また過去の自分と同じようなことでつまづいている、一生懸命歩いてきたけれど、結局は同じ場所を円を描いて戻ってきただけな気がして落ち込んでしまう。でもそんな時はその道のりが円ではなくて、螺旋だと願う。一方から見たら同じ場所を回っているように見えても、螺旋ならきっと上か下には伸びていく。そう考えると今いる場所は昔と全く同じではないと思えるような気がして。この螺旋の例えは『リトル・フォレスト』という漫画の受け売りなのだが、苦しい時には頭にこのイメージが浮かぶ。先の自分が全ての問題を解決するのは難しいだろう、おそらく今後も何度も同じことを繰り返すと思う。だけどその時も螺旋のイメージを忘れずにいられるように、こうして書き残しておきたい。

いろんなことがわかるのはもう少し先だろうか




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