研究をやめる

今年の3月で研究をやめる。
博士課程を修了するかもしれないし、単位取得退学になるかもしれない。
それでも確実に、3月には大学を出る。
今のところ、今後一生、研究をやるつもりはない。

研究を6年半やってみて、結局、自分は研究ができるのかできないのか、向いてるのか向いてないのか、わからなかった。

分野はバイオ(マイナーな生物を扱っている)。
論文は一報。
賞は修士課程から通算で4回(学生が選ばれるやつで、小さい学会が3回)。
博士課程での学会発表は3回(全てボスから参加しろと言われて参加した。言われなければ3回とも参加しなかった。)

他人のことなんて気にしたことがなかったから、分野内の事情がよくわからない。
だから、この業績が大したことないのか、華々しいのかも、正直わからない。
(一応、個人的には「大した業績じゃないなぁ」と思っている。)

私には目標があった。
それを達成するために研究を利用した。
でも、達成できなかった。
もう絶対に達成することができないから、諦めた。
そして、自分にとって研究は無価値になった。
これがD3の夏。

博士号も要らないのだが、周りが納得しないので、仕方なくとる。
今年度でとれるかはわからないが…。
(仕方なくとれるかもしれないのは、過去の自分の血の滲むような努力のおかげでデータがたくさんあるからで、全く努力せずにとろうとしているわけではない、とだけ言っておく。)

もう研究はやりたくない。
理由はシンプルで、疲れたから。
クソみたいな思いもたくさんした。クソ、本当にクソ。

こんなでも、唯一誇れることは、天然物を同定したこと。
既知だったけど。
サンプリングがめちゃくちゃつらかった。
コロナにかかった時だけ他の人に手伝ってもらったけど、ほとんど自分でやりきった。
これがD2。
D2の時に発揮した努力を、もう発揮できる自信がない。
これもまた、研究をやりたくない(やる自信がない)理由の一つ。
これだけが、研究をしてきた中で、唯一自慢できることだと思う。

6年半、ほとんどの時間を研究に費やした。
ラボ帰り、深夜に自転車で走っていて、防犯登録の確認をされた経験は3回。
目標もやりたいこともない。そして研究を手放す。
今の自分には本当に何もない。
でも、生きられそうだからとりあえず生きる。
ただ、無気力ゆえに、テンションの高い文章が書けない。

それでも、研究をやめられることはもう非常に嬉しくて、いろんな人に言いふらしたくて、こうして記事を書いた。

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