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『身体性をもった言葉』とは何か?

 先日『可能性にアクセスするパフォーマンス医学』刊行記念トークイベント 古賀史健×田中泰延×二重作拓也「『言葉の身体性』とは何か?」に参加した。自分の中でもこの話題に向き合う必要を感じたので文章化する。

 まず「『言葉の身体性』とは何か?」は、言葉の定義だけで考えると、文章表現において身体の性質について語るとはどういうことかという意味になる。しかし、イベント中に感じたテーマは、身体感覚にうったえる文章はどんなものか、そしてその先に何が起こるのかだった。よって、後者を採用する。もし、テーマを後者に合わせると「『身体性をもった言葉』とは何か?」になると考える。

 イベントの中で「身体性をもった言葉」について端的に語っておられた部分はここだと考えるので抜粋する。分かりやすくするため、敬称は省略する。

田中 文章の基本の方の一つにまず結論を書くというパターンがある。古賀さんの新著「さみしい夜にはペンを持て」は物語形式になっている。そうすると結論を先に書く手法は使えない。それに関してはどうだった?

古賀 自分は文章を書く際に最初に結論を書くパターンはあまり使わない。自分はそこに至る話の枕をしっかり書くタイプ。
 いい文章には身体性がある。今回の作品は海の中の物語だったから、読者に海の中に漂っているような気持ちになってほしかった。
 文章を伝わる形にするには、読者の身体性にうったえる必要がある。
 ジブリのアニメの食事シーンは多くの人の感覚にうったえるし、実際にそのシーンを覚えている人が多い。
 漫画の編集者の方に聞いた話だが、ファンタジー作品に食事シーンをいれるようにさせていた。その世界がどんな食事をしているかをイメージさせることで、作品の共感や理解が深まるからだそうだ。
 食事のシーンをうまく書けるかどうかでその人の文章のうまさがわかる。

抜粋終了

 身体的感覚を刺激する表現(上記の話の中では食べる描写)は共感を導く。共感は、文章、作者、世界観への信頼につながり、そこに親近感を抱く。その信頼と親近感が、文章の中に出てくる未知の出来事や世界観への没頭(疑似的に体験すること)を可能にする。

 つまり、言葉で既知の身体経験(食べる)と未知の体験(物語)の橋渡しをすることで文章の説得力を増し、より深く読者を引き込むことになる。

 『身体性をもった言葉』とは、既知の経験や感覚を刺激することで、物語や未知のものに興味を持たせる文章だと考える。

 重要なのはこの先で、その『身体性を持った言葉』に向き合った時、読者にどんな変化が起きるのかだ。未知の経験への没頭は新しい感想やイメージに至り、できなかったことややろうと思ったことすらなかったことにチャレンジすることになる。田中さんによると、「身体性を持った言葉」によりカツカレーのカツがスプーンで切れるようになるそうだ。詳細を知りたい方は、録画したイベントを見てみてほしい(笑)。

 余談ではあるが、「身体性」は体の性質であると私は単純に理解していた。しかし、実際は分野ごとにかなり定義の異なるものらしい。なんとなく使っていただけに正直驚いた。興味の出た方は、以下のページを読んでみてほしい。

「身体性」ってよく聞くけど、結局どういう意味なのか? 「過剰可視化社会」から考える
https://gendai.media/articles/-/95908

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