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68歳の誕生日/年齢≠人生の長さ

スッキリしない目覚めがこのところ続いている。
で、今日(4月28日)は金曜日で、いちばん近いスーパーがシルバーデイ(65歳以上はレジで3%割引き)なので買い物に行くのだが、爺の68歳の誕生日でもあるのだな。
助手さんは誕生日だから何か美味しいものを……と言って、イチゴ1パックとピザをカゴに入れた。
レジで顔なじみの(といっても、マスクで半分しか見えないのだが)おねえさんに、いつものように「ジジババ割引きで」とお願いする。
おねえさん苦笑しながら「はい」と答える。

爺「68になっちゃったのよ」
おねえさん「見えませんね」
爺「今日で」
おねえさん「……え? あ、おめでとうございます」

最後にいつもは買わないピザを会計済みのカゴに入れてくれたので、それを見下ろしながら
爺「誕生日だから」
と言ったら、笑っていた。

……こんな感じで毎日を過ごせるこの土地が好き。 今までずっと無表情だったレジのおねえさんが、少しずつ笑顔を見せてくれるようになった。もちろん愛想笑いというか「苦笑」だろうから、あまり余計なことを口にして嫌がられないようにとこちらも気を遣いながら、なんだけど。
こういうのが「生きてる」ことの幸せなんだろうな。

レジのおねえさんは「(68歳には)見えませんね」と言っていたが、今までずっと年齢を偽ってジジババ割引きをさせていたと思われていたのだろうか。
その懸念もあって、レジでの短い会話を試みてみたのだが、次からは「68歳の変な爺さんがまたシルバーデイに買い物に来ている」と思って、何も言わなくても割引きしてくれるかな。

自分が年齢通りに見えるかどうか……よく分からない。
写真はともかく、動画に映り込んだ自分の姿を見ると、老醜にギョッとする。
でも、同窓会(何十年も出たことはないのだが)の写真などを見ると、同窓生たちがみんなとてつもない爺さんになっていて驚かされる。
それと、みんな睡眠時間が短いらしいことにも驚く。4時間だの5時間だの……。
歳をとると長い時間眠れず、すぐに目が醒めるのだが、それでも細切れにちょこちょこ寝ているから、1日8時間以上は横になっている。
起きている時間が「人生」だとすれば、年齢=人生の長さではないわけで、同じ年齢でも睡眠時間が短い人のほうが長く生きていることになる。
一方、起きている時間が長くても、毎日同じことを繰り返していて、その内容に変化もなく、記憶にも残らない時間が多ければ、「長く生きた」ことにはならないのかもしれない。
転職が多かったり、同じ仕事をしていても、毎日違うことを考えたり、新しいことを見つけている人は、それだけ人生の「濃度」が上がる。
自分に関しては、このところずっとその「濃度」が低いというか薄いままだ。そのことを気に病むのがまた、身体によくない。

↑5年前はこんなことやっていたのだな。親父も義母も施設で暮らしていて、そこに出かけてウクレレ教室の先生をやっていた。人生で初めてウクレレを弾いて、マイウクレレも買ってしまった。あれは自分の人生において「新しいこと」だった。

↑で、68になった今はこんなことをしている爺である。

夜は、とっておいたワインを開けた。もちろんいただきもの
ピザとワインで年齢を噛みしめる?

↑まとめ?動画


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こんなご時世ですが、残りの人生、やれる限り何か意味のあることを残したいと思って執筆・創作活動を続けています。応援していただければこの上ない喜びです。