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シティ・ポップ≒ニューミュージック

homemade city popを標榜しておりますcoda-nous-quiなので、今日はシティ・ポップについて。

山下達郎、安部恭弘、杉真理、角松敏生、寺尾聰、南佳孝、荒井由実、松原みき、吉田美奈子、ラジはシティ・ポップと呼ばれてますよね。
一方、松山千春、アリス、中島みゆき、南こうせつ、海援隊(武田鉄矢)はシティ・ポップとは呼ばれていないと感じてますが、合ってますか?
上記のアーティスト達が十把一絡げに「ニューミュージック」と呼ばれていた時代がかつてありました、70年代後半から80年代半ばくらいまでのことです。
と言うことは、昨今語られる「シティ・ポップ」とはかつて「ニューミュージック」と呼ばれたジャンルの一部という事です。

もっと言えば、YMOやヒカシュー、矢沢永吉、横浜銀蝿ですらニューミュージックに括られる場合がありました。芸能界のメインストリームが転換する時期だったのですね。

歌謡曲(流行歌)、演歌、アイドル以外の「70年代にはアンダーグラウンドだったもの」、「80年代になってヒットチャートに出てきた音楽」はまとめてニューミュージックだったのですが、90年代の渋谷系の時代にこれらがセグメントされたようです。

当時のDJやアーティストは、洋楽・邦楽に関わらず、リアルタイムのリリース時にヒットした・しないに関わらず、「クール」と感じた過去の音楽には惜しみないリスペクトを捧げ、コンピレーションでの選曲やクラブプレイ等で啓蒙を続け、その結果多くの(一般的には)知られざる作品がCDでリイシューされました。

ジャズファンク系のインストゥルメンタルは「レア・グルーヴ」、R&B系は「フリーソウル」と称されました。邦楽ポップスは金澤寿和氏編纂のコンピレーション「Light Mellow」で紹介された「ニューミュージック」が、日本のフリーソウルとされました。

この時に渋谷系関係者に薫陶を与えた、選ばれし「ニューミュージック」が今のシティ・ポップなのだと思ってます。

今や、竹内まりやの「プラスティック・ラブ」、松原みきの「真夜中のドア」をはじめとしたシティ・ポップが世界的注目を集めています。
長らく「日本の音楽の海外輸出」のネックは音楽のクオリティ以上にディストリビューションの問題があったのですが、ストリーミングの時代になり、製造販売を海外にライセンス契約したり、輸入盤を流通させたりなどの労力がなくなり、世界中の音楽が同じハードルで聴けるようになってシティ・ポップは一気に飛躍しました。この時の選ばれしニューミュージックの力量が世界に評価され始めたのです・・・あ、長くなってきたので、続きはまたいつか。

to be continued ?

今日の一曲は「選ばれしニューミュージック」の中から。当時AORの金字塔と呼ばれたアメリカのバンド、エアプレイ(ジェイ・グレイドン&デヴィッド・フォスター)の世界観、サウンド感に最も近づいた邦楽の中の一曲。

安部恭弘「アイリーン」(1984/TOSHIBA-EMI)

ヒットチャートの中心にはいませんでしたが、この時代に日本の音楽はここまで到達していました。ギターやシンセの音色やリフ、イントロのトリッキーなリズム、ほぼほぼエアプレイですね(笑)

写真は拙宅にあったシティ・ポップのLP達、ユーミンの「ミスリム」も写したのですが見切れてます。

今宵の担当:nori

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