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三月の海 #木曜日ノ木之瀬

“3”が好きだ。

数字の3。三であり、参。讃と燦と、酸。
さん。
そもそも生まれが、
1993年3月31日で、1と3ばっかなのだ。
1も好きだし、9といえば3の2乗、3×3なのでやはりこれも3である。
ついでに言えば生まれた時間も13時3分である。
生まれた時の体重もジャスト3000グラム。
デスティニってる。これは。

共感覚、とかなんとかいったと思うが、数字に色を感じるというのがある。
個人差、というか各個人のものだが、おれの場合、3の色は黄色だ。
そう、黄色も好きな色である。
明確な理由があるにはあって、小学生のとき、体操服に学年を示す数字のゼッケンを縫いつけるシステムがあり、「何組」は色で表されていた。
そのとき、3組が黄色だった。
ちなみに1組は赤、2組は青、4組は黒(実際は白がテーマカラーだが白地の体操服では判別できないため黒)、5組は緑。
ちなみにちなみに小学生時分、3組になったことは1度しかない。

閑話休題。
生年月日時にまつわる話からの、“3”に絡みつかれた数奇な人生(数字だけに)、という展開に繋げたいところだが、3がやたら登場するのは生まれた瞬間だけであった。
あとは3月=Marchで、マーチ=行進曲=二拍子の曲も好きだ。あと三拍子の曲も当然好きである。

↑三拍子

ところで、「数」というものがそもそも不思議なもの、という考えがずっとある。
たとえば、「4+3+8+1」の答えは、絶対に16になることなど。足す順番を入れ替えたって16。何度試したって16。ずれない。動かない。
これが不思議でしょうがないし、あまり信じてもいない。

この問題を他人に話しても、自分でもなに言ってるかよくわからなくなるし、まずもって理解されることはなかった。
しかし先日、とある友人がこの問題について「理(ことわり)だよね」と言ってのけた。
膝を打った! 理。なるほど。
いまや世界の大前提になってしまっている「数」という概念がそもそも無かった世界、に、それを見つけた人がいる。見つけたとした、と言う方が正確か。

数とは(それは値段や長さ重さ、レベルという単位を超え)、不変の存在、3は3である未来永劫、という、変化し続ける世界、膨張し続ける宇宙においてまったくその性質と相反する概念。
と、思っている。

そのことを以前の自分の作品の中で、「人は死んだら数字になる」と表現したことがある。
生きている間、人間の細胞は刻々と移ろっている。それが死んだ瞬間停止する、ということは、その時点で不変のものになるということではないか。と、ヤンキーが哲学しているというシーンであった。我ながらよくできたシーンだ。

閑話休題。って、どこが本題だったか忘れた。

とりあえず、3ってかわいいよね。
春ってのもあるのかね。3月。
あと「3」のフォルムもいいよね。お尻みたいだよね。

好きなサードアルバムは、星野源『Stranger』。
好きな3巻は、美術系4コマ『GA』かな。

↑ガッシュ3巻も黄色い


#3 #3月 #数 #数字 #概念 #哲学

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