「100年前の未来想像図展」
当時 mixi に書いた文章をnoteに載せてみたくなりました。
※北九州(小倉)に住んでいたころのお話。
=2009.02.24の日記=
「100年前の未来想像図展」
北九州イノベーションギャラリーで「100年前の未来想像図展」を見に行ってきました。
100年前の人が現在を想像して描いたイラストが展示されています。当たってるのもあるし、外れてるのももちろんあります。でも大半は楽しそうな未来で、心がなごみます。楽観的でいいなあ。
◇
▲未来の集合住宅|1890年 アメリカ|
何でも揃ってて、らせん状に電車まで走ってます。
▲自動車ホテル|1905年 アメリカ|
レストラン、美容室、ジムまでそろってます。
▲携帯テレビ電話|1930年頃 ドイツ|
形はちょっと違うけど、これ実現してます。
◇
先日NHKで手塚治虫特集があって、その過去映像で手塚治虫はこんなことを話してました。
(マンガが荒唐無稽であるという批判に対して)
「荒唐無稽という言葉はそんなに悪いもんでしょうか?」
(自分が描いた未来が実現したものもある)
(実現された今、誰もそれを荒唐無稽とは言わない)
「荒唐無稽、あるいは夢、こういったものの中にこそ、今、日本人が忘れている大変重要な要素があるんじゃないかと思います」
今、私たちに不足してるのは夢見る力のような気がします。
ばら色の未来を実現するには、ばら色の未来を想像するところから始まるはずです。まずはそこから。そうすれば私たちがすべきことが見えてくるはずだと思うのです。
あなたならどんな100年後を想像しますか?
* * *
ということで、ここから先は私の大予想。
(注:これは2009年の私が書いてます)
私は言葉の壁がなくなると思います。100年後だったら言葉がリアルタイムで翻訳されることもきっと可能です。そのときどんな世界が現われるか。
私は「世界的な知恵の共有化」が行われると想像します。
現在進んでるのが「世界的な知識の共有化」。ウィキペディアが良い例です。100年後はその考えがさらに進み、単なる「知識」の共有から「知恵」の共有が起こるのではないかと、私は考えています。
今この世界で起こっている問題は、実は世界のどこかで解決済みの問題なのかもしれない。私が悩んでいる問題は、例えば地球の裏側ではすでに解決済みだったりするかもしれない。ただそれを自分が知らないだけかも。言葉の壁が邪魔をして・・。
もし言葉の壁がなくなったら、地球の裏側の人とも普通におしゃべりできる関係になれたなら、いろんな問題が、知恵の共有化で解決するかも、なんてことを夢見ます。
いろんな国の人と仲良く井戸端会議ができたらいいな。
私の質問を、世界中の人が答えてくれるような世界。誰もが生徒で、誰もが先生になれる世界。それが実現したら、平和な世界になれるかな。
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