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「孤独」と「孤立」の違い。

さっきネットで読んだ記事に面白いことが書かれていた。

その見出しは

「孤独」と「孤立」は違う。

また、その記事を読み進めると

「孤独」は「感覚」であり、「孤立」は「状態」とも書かれていた。

これを読んだとき、僕は、この記事の通りのような気もするし、違うような気もするなーと感じた。

なので自分なりの言葉にして、再構築することにした。

まずは、

「孤独」とはなんぞや?
「孤立」とはなんぞや?

と自問した。

ネットで辞書を引けば、すぐに答えが出てきそうだったが、あえてしなかった。
そうして簡単に得たものは、すぐに忘れてしまうからだ。


しかし、さっきの自問の仕方では、すぐに答えは出そうになかったので、質問の内容を変えて自問した。

次に思いついたのは「具体的なシチュエーションに当てはめて考える」ことにした。

でまた自問した。

質問①

自分のことを誰も知らない土地に移り住んだ人は「孤独」と言うんだろうか?

それとも「孤立」と言うんだろうか?

質問②
その人が知らない人にも「あいさつ」をしたり、話しかけたりするコミュニケーションを進んでとっていく人だとしたら、

その人には「孤独」とか「孤立」と言う言葉は当てはまるんだろうか?

そう考えると何だか分かってきた気がした。

そしてあの記事の違和感もわかった気がした。

「孤独」とは「感覚」、「孤立」は「状態」と記事には書かれていた。

確かにそういう一面もあると思う。

だが、それだと多面的な1面にしか過ぎない気もした。

そして思った。

「孤独」は「他者」と「コミュニケーション」をとりつつでもなれる「状態」であり、自ら「選択」してなれる「状態」である。

いっぽう「孤立」は「他者」との「コミュニケーション」を「とらない」という「選択」をした人がなる「状態」であり「状況」である。

または、コミュニケーションを「とりたくてもとれない」という「状態」や「状況」に陥ってしまった人が抱える「感覚」である。


これは例えば「障害」を抱えて生きていらっしゃる方や、生まれながらにして「経済的貧困」の環境にあった方などが当てはまると思う。

「孤立」は「人間」を含めた「環境」や「社会的状況」が作り出してしまう場合もある。

打開策のキーワードは多分「コミュニケーション」だ。

ちょっとスッキリした。

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