マインドセット 篇
孔子はこう言った、ということを弟子たちは論語にまとめた。
「子曰く(し、いわく)、、、」
の後に続くのは、すべて孔子の言葉である。「曰く(いわく)」は、動詞「言う」が体言化してできたものである。
だが、儒学がノモス(規範)化し、形骸化していく中で「いわくつき」という言葉が生まれた。「曰く」がなければ分からないこと、つまり、「実は、、、」と内情を打ち明けられない限り、外から見ていても実態が把握できない時に使用される。
「なんで、そんな大事なことを仰っていただけなかったんですか?」
と後になって突っかかるケースは、ぼく自身の例を出すまでもなく、世の中には五万とある。話が「いわくつき」になっているからだ。だが、最初に話した側にとっても、聞き手の何がわからないのか、その心情を吐露してもらわなければわからない。
ということは、話し手と聞き手の双方が「いわくつき」の話をしていると思っていた方が良い。だから、ぼくは何かを説明した後に、必ず、
「なにか質問はありますか?」
と聞くことにしている。だが、質問は出ない場合が多い。これには三つの理由があると思っている。まず第一に、そもそも話を聞いていないか、次に、言われたことだけをやればいいと考えているので、そもそも相手の心情を大事にしていないか、最後は、理解していた気になっているか、のどれかだ。
そう考えると相手との相互理解は、質問と受け答えという対話によって初めて成立するので、質問が出ないのは「いわくつきの人物」と言って良い。
ぼくもまぁ、ピチっピチのプリップリのおじさんになってきたので、こうしたいわくつきの人物と対峙するときには、
「きっと失敗するんだろうなー。まぁ、失敗してから教えたらいっか」
くらいの余裕が生まれた(若い頃はそうではなかった。失敗する余裕がなく、失敗されると困るので、追い詰めに追い詰めていた)。
そして、こういういわくつきの人物ほど、失敗したときにこう言う。
「ぼくが悪いって言うんですか?」
ぼくはこう答える。
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