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20代最後の歳になって過去の全てがもったいないと思った。

本日は歯医者に行ってから、カフェのテラス席でずっと自分の人生の振り返りの時間を作っていたのですが、29歳の今になって、急激に過去の人生全ての密度をもっと濃く出来たことに気づき後悔しました。

「それは後悔じゃなくて反省なのでは?」とかそういう言葉遊びのたぐいはいいとして、とにかく「人生がもったいなかった」と思っているってことです。

というのも、今年の3月から色々と人生をより良くするために本格的に自分とも向き合う時間を増やして、丁寧に日々を生きようとしているのですがそのおかげか、仕事も順調に増えて、家族との関係性も普通から更に良くなってきて、色々と良い方向に進んでいる感覚を覚えております。

自分で言うのもなんですが今年の3月時点の自分とは別人になったな。とも思えるくらいに成長している感覚はあって、それを振り返るために今日もカフェでじっくりと思考の時間を取っていたのですが。

今の動き方や考え方を持って、日々を丁寧に生きていたならばもっとたくさんのことが得れて、悲しい出来事も減っていて、より良い今を生きているだろうことを実感できた際に、猛烈に「今までの人生がもったいねえええええええええ!」という気持ちが湧き上がりました。

日々の密度をもっともっと濃く生きることが自分には出来た。

もちろん、過去の出来事に置いて100点の行動なんてものが今の自分から見てあることって早々ありません。少なからず人は成長してますし、その当時の行動が未熟に見えるのは当たり前なのですが。

僕が思ったのはそういう行動のクオリティ(質)の問題ではなくて、行動に対しての姿勢(態度)の問題でした。

なんというか、例えば今はできる限り、常に自分の心に丁寧に接して、やる行動を決めていたり、自分の感情を第一にした上で関わる全ての人を良い方向に変えていくと決めて活動をしているのですが。

その姿勢が過去の僕には全然足りてなかったし、やろうともしてなかったなと。

未熟だったから、知らなかったから、といえばそれまでですし、過去の自分も過去の自分なりに必死こいて生きてきたこともまた事実です。別にそこに恨みもないですし、よくやってきたなとは思うものの。

こういう根本的な姿勢を持ち続けることができていれば、この29年の歳月で得れたものはものすごく桁違いのものを得れていたし、味わってきた悲しい出来事や人を傷つけてしまったようなことも起きずに良い方向に持って行けていたのだろうなと「現実味を帯びて実感できた」んです。

だから、すげーもったいなかったなぁと。

今の自分の状況も普通に幸せですし、文句なんかないです。

周りの人や自分にも感謝の気持を持って過ごせるくらいの状態ではありますが、やっぱりもっと頑張れた。うまくやることが出来た。と心から実感しちゃうと「もったいない」という気持ちが溢れ出てくるものですね。

少なくとも「まぁしょうがないよね」で軽くいなせるくらいの変化ではなかったのだろうなということは感じています。

必要なのは「出来そうにもなくともワクワクする未来を決める事」だった。

とはいえ、もったいないと思うこの感情が悪いものと思っているのか?というと全然そんなことはなくて、「もったいないと心から思えたことはコレは成長だな」と知ることが出来たと思ってます。

というのも、今までの僕って何となく自分が出来そうなことしか目標にはしてこなかったんですよね。

夢・目標は高く!と言いながらも、自分が背伸びしてギリギリ届くような届かないような目標しか設定してこなかった。コレが大きな間違いでした。

夢や目標なんてのは実現できるかわからない位大きいものにしないと少なくとも自分は全然ワクワクしないんだなってことに気づけたのが今更になってからだったんですよ。

別に夢や目標を設定したら、必ずやらなきゃいけない。なんて脅迫概念は必要ない。純粋にワクワクするからこそ目指して、そして仮に届かなかったとしても目標に近づく分、得るものも多くなっている。

そういう感覚で生きる時間は自分で増やせるものなのにも関わらず、そういう感覚で生きている時間が、この29年間ではあまりに少なすぎたのがもったいなかったなぁと。

生きる限りは現実はどうせ見るわけですからね、夢くらい現実すっ飛ばさないとワクワクしないし、こういう高揚感で動くほうが大抵のことがうまくいくのはわかってたはずなんだけどなぁと。

必要なのは「今は到底出来そうにもなくともワクワクする未来を決める事」でした。

だからこそ、より良い未来を歩むための今を積み重ねようと決意できた。

そんなこんなで、色々と後悔やら反省もしつつ今日たどり着いた結論は、「今より良い今が存在したことがわかったのだから、より良い未来を歩むと決めて今を積み重ねよう」ということでした。

A 

B

C

の3パターンの2020年7月の今があって、僕が生きてるのはBパターンでAは更に良い今、Cが落ちまくっている今、とした際に

「Bの今であることは幸せだけど、Aの今のほうが良かったと思うことは事実だから、Aの未来に進めるように楽しんで頑張ろう」

って感じですかね。

基本的に僕は負けを認めたくないので、「なんだかんだで俺は自分で良い今を生きているだろうー」と考えていたのですが、翌々考えてみると全然だとわかった。っていうことですね。

やることが特に変わるわけではないものの、もっともっとより密度の濃い今を生きる事ができるとわかったし、より全力で日々を楽しもうと今日の思考の時間では思えました。


何かしらの参考になったならば幸いです。



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