見出し画像

医者が居なければ病気も死亡も存在しない

調子悪いという既成事実はあるものの結局は病院で診断されなければ病気として認定されない。特に肉体の外的欠損は自明の事実で自覚出来るが、内面特に精神面では診察というルートを辿らなければどんなに歪もうが健常である。よくニュースで「心肺停止の状態」と報じられることがあるが、男塾の如く「死亡確認」されなければ死ぬという状態としては扱われないのである。お医者さんが寝てる間はどんだけ事切れてもステータスとしてはご臨終とはならないのである。

風邪なんてものも体調不良と高熱の違和感は感じつつも、体温計測定や病院駆け込みしなければ公的には風邪状態と認識されない。漠然と辛いという状況さえ飲み込めれば広義としては弱ってる健康体なのである。特に鬱病などの精神疾患は第三者による認定が無ければこの世には存在しないファントムな病であると言える。別に西洋医学批判的な文脈ではないし、現代を生きるメンタリティとしては免許持ちに承認されなければ意外に生きれちゃうというマインドのお話である。

昔原付で事故った時でさえ、激痛走りつつもまさか骨折してるなんて思いもしなかった。生存へのアドレナリン出まくりという状況であったが、余裕で「意外にイケるんちゃうか?」と希望的観測を抱きながらドクターヘリに搭乗したのが忘れられない。レントゲン撮らなければ脚など折れてないの精神である。骨折という現象は意外に自覚的でないと負の思い出がある人間は多いことだろう。

人間というのは思った以上にタフネスさに溢れており、何処かで自衛の意識がないと無自覚に病理に侵されてしまう。今思うとヤバかったなあという思い出は良くはない。予防的にやはり診断を下されるという行動をしなければならないだろう。病気なのに無自覚で日常を過ごすか早期に病気と認定されて療養マインドで開き直るの二者択一は意外に判断が難しい。でも結局は後者の方が色々幸福に繋がる気もする。認知しない事実を抱えながら過ごすのはやっぱり不幸なのかもしれない。

知らぬが仏というワードは実は地獄に片足突っ込んでいる状態かも知れない。結局は自意識と肉体の距離感を測れるメタ認知が上手い方が素敵なのかも。でも色々考えるとやっぱり「俺健康!」と自覚出来るだけでそこがどんだけ深刻な境地でもマインドとしては勝ってる感もある。カワイイは作れるの精神に近い。

ちなみにこの文章は酒を飲んで記述している。しかし酔っ払ってはない。シラフが仏である。(この言葉遊び色々対応してるのか?)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?