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『この世界の片隅に』と父の反物

国の機関を定年により退職した父の次の勤務先は実家からは車で40分ほどの場所で、ツキイチ程度で実家になんらかを漁りに行き一泊して帰る朝はいつも通勤する父の車に同乗させてもらっていた。

助手席を限界までフラットにフラットに倒して母がこさえてくれた銀紙に包まれたおむすびをパクパクくらいそのままウトウトする。めったにない父との2人きりの時間をそのようにザバーと消費するひどい娘であった。

父の勤務先に近い駅までくると「おい」と声がかかり娘はノッサリ目を開けてシートを戻す。

「金はあるのか」
「ない…」
「お母さんには言うなよ」

そして2千円から1万円までのさまざまな金額を毎回もらう。

「じゃあね」

とそっけない口調でありがとうもソコソコに、母にもたせてもらったおかずたちの袋と共にさっさと車を降りる。やはりひどい娘であった。

とある週末。

手塚先生の「奇子」にどハマりした娘は読みかけの「奇子」を持って実家に定期搾取訪問をする。
実家に到着した時点で読み終えてしまったためそのまま「みんなの読み終わり本置き場」(のような場所があったのだ)にパサと載せておく。土日をダラダラ過ごして月曜日の朝いつものように父の助手席でフラット体制でおむすびをキメるもウトウトする前に聞きたいことがあった娘は口を開く。

『奇子読んだ?』

出掛けに読み終わり本置き場をふとみると、週末積んでおいた奇子が見当たらなかったのだ。

『ああ。あれは面白いね。』

『漫画読むなんて珍しいじゃん』

『知ってる人だったからさ』

(この場合の知ってる人とはメジャーなそれという意味である)

『めちゃくちゃおもしろいでしょ。暗くて重くて陰謀でさ』

車は目的地までに一瞬だけ訪れる山の間を進んで行く。

『戦争はねー.....。お父さんはまだ小さかったからあまり覚えてなかったけども大変なことだった』

『いい反物をさ、防空壕にうめて田舎に疎開したんだよ。その後街に大空襲があって。ダメかと思っていたけど戦後にさ、それを掘り出すことができてお金に換えて姉さんたちが新しい商売を始めて暮らしを立てたんだ』

父の口から生い立ちめいたこと、ましてや戦争関連の話を聞かされるなんて初めてで、驚き新鮮だった。

父の実家が元々は東海地方のとある街のおおきな呉服屋だったこともその時初めて知ったのだ。どうりで家のくつろぎ着が着物だと思ったよ。着付も随分手早くて小さい頃のお正月の黄八丈も夏のゆかたもいつも父が着せてくれていた。我が家でそれは『お父さん』の役目だったから。

『この世界の片隅に』を観た帰り道、ずっと忘れていたこの時の会話を思い出していた。

銃後であろうなかろうとそこに暮らしはあって陳腐な陳腐な陳腐な歌詞のように街の灯りひとつひとつにはそれぞれ暮らしがあって、現代だってみんななんらかの銃後だったりするだろう。

『奇子』もある意味悲しい銃後の話で、あの時代特有の暗い閉塞感の銃後。

すずさんも奇子も、防空壕から反物を掘り出した父の姉たちも暮らすために生き抜く。暮らすために生きるのか生きるために暮らすのか。

あの会話の時から程なくして、父は急逝した。

たくさんのレコードと、タバコと本の匂いの父の部屋はいまもじっとあの場所にいる。そこに置かれていた『奇子』はあの後捨ててしまった。父はすずさんの暮らしを、どう見たかな。

記録のない記憶しか持たないたくさんのひとたちの暮らしはこれからも続いてく。

#日記 #フィクション





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