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最近面白かった本と力一さんの話がリンクしててテンション上がって最終的にジョン・ドゥ・パレード好き!てなった話

バカ長いので目次をつけた。
適当に読み飛ばしてちょうだい。

頭の良い人の話を聞くのが好き

私は頭の良い人の話を聞くのが好きなので、たまに学者の方や哲学者の方の講演の動画を漁って見ることがある。

基本的に私の興味のポイントは「賢い人の考えてることは面白い」てところにある。
だから「この人、ずっとこんなこと考えてるんだ」とか「こういうこと考える人って、こう話すんだ」「こんな風に説明するのか」ということを楽しむのがメインで、ただ話してる様子を見るだけのことが多い。

たくさん見てると、世の中には色んなタイプの”賢い人”がいる。

「理論やメッセージを熱心にお話しされてるけど、ただただ圧が強くて話自体は分かりにくいわね」て人
「ずっとボソボソ難しいことを話し続けてて、お話が全然入って来ないわね」て人
話が妙に上手くて、笑いを取りながら軽快に話してるけど「最後に高級羽布団でも買わされるのでは?」と思うような胡散臭い人もいる。

そんな中で最近「えっ、この人おもしろい…!」と思って、すぐにお名前をメモして本を数冊買うということがあった。

田坂広志さんとおっしゃる工学博士の方の講演。

田坂さん

工学博士の田坂さん。
お姿を拝見した第一印象は「アル中じゃない中島らも」という感じ。
見るからに賢そうで、品があって、妙に迫力と鋭さがあって、すごく目が強い。

で、そんな感じの人が話し始めたら「渋い系のベテラン噺家さんが静かに話しはじめたとき」みたいな感じだったので驚いた。
そんな感じで話すの?!てなった。

声の出し方なのか、テンポ感なのか、何のせいなのかはわからないけどスッと聞き入っちゃう。
「知らないおじさんが真面目に難しい話してるのにめちゃくちゃ聞けるってすごいな」と思って、すぐにメモを取った。

さっそく本を手に入れて読んでみたら、想像の10倍読みやすくて分かりやすくて面白かった。

工学博士で、経営とか社会起業の顧問とか教授とか名誉学長とかされてる方だから、どんな話でも(下手すると完全にスピっちゃう感じの話でも)ちゃんと「こういう研究結果があって…」「こういう仮説が有力で…」と説明してくれるのも面白かった。
「世の中には、そんなことをずっと研究してる人がるんだ…」てのを知れるのも面白かった。

田坂さんは、「賢すぎてもう何を言ってるかわからない人たちの話を、我々にもわかるように説明してくれる人」て感じ。
「みなさんの理解のレベルは分かってますので」くらいの勢い。
あと、「多分この人、普通に面白い話もできるんだろうな」と思う何かがある。

リンクする話

で、そんな田坂さんの本を何冊か読んでいくうち、ふと、力一さんのお話と通じる箇所が複数あることに気づいた。

ひとつは力一さん作詞の曲「ジョン・ドゥ・パレード」の解説。

ジョン・ドゥ・パレードとのリンク

力一さんの解説では、ジョン・ドゥ・パレードという曲は

誰かが一度思いついたけど、名前がつく前に捨てられたり、忘れられたり、無かったことにされてしまった"未完のもの"たち、ジョン・ドゥ。

それらは、あなたが忘れてしまった後もレム睡眠の中で今も脈打ち、ギラギラ光り続けながらパレードをしている。

もう一度あなたが思い出すまで、名前のないものたちはビックバンドを鳴らし続けている。
ジョン・ドゥは、あなたの中だけでなく世界中の人たちと共鳴しあうかもしれない。
別の誰かに思い出されるかもしれない。

という話だったと思う。

私はこれを「表面意識に上がらなくなった(忘れた)ものも、深層心理にはずっとストックされている」という受け取り方をした。

深層心理の中に残っている色んな情報が、ふとした時に出てきたり、人の言動や考えに滲み出てくるというのは、実際にある。


意識・無意識に関することは田坂さんもよく話されている。

田坂さんの話の場合は「個人の表面意識と、個人の深層心理」の他に「集団的意識(みんなで共有してる意識 群衆行動)と、集団的無意識(みんなで共有している無意識)」がある、てとこまでいく。

この「集団的無意識」ってのは、元々ユングが言ってたやつなので知ってる人も多いと思う。

所謂「心の深いところではみんなが繋がってるんじゃないかな」みたいなやつね。
「夢の中では心の深いところに入るから、他の人の意識と繋がれる」みたいな感じで聞いたことあるアレ。

この「集団的無意識」ってのが今も研究されてて、今は「ゼロポイントフィールド仮説」と呼ばれる有力な仮説として扱われてるという話。

例えると、みんなのおもちゃを一緒に入れる"共有の箱"みたいなイメージね。

で、この全員で共有してるおもちゃ箱=ゼロポイントフィールドにアクセスできるかどうかが「天才的なアイディア」とか「奇跡的なひらめき」とかと関わっていると。

つまり、みんなで共有してるおもちゃ箱には「色んな人が忘れたアイディア、使わなかったひらめき、名前のないもの、その他有象無象」がいっぱい入ってる。
そこにアクセスして、中を漁って「アラこれ素敵ね、いただくわ」とするのが「ひらめき」であると。
多分ザックリそういうことだと思う。


意識されなくなったものたちが集まっていて、誰かに取り出されるのを待っている
完全にジョンドゥパレードの話と一緒なのよね。

力一先生の講義とのリンク


もうひとつは、にじフェスでの力一さんの講義「キャラを下ろす」というお話し。

この時の力一さんの話は

周りの人をよく観察して、その人たちのキャラを自分に下ろして演じる。
これを上手くやれるようになることで、色んな場面や役割に適したキャラを下せるようになる。

人は誰しも常に何かしらのキャラを演じているようなもので、それを少なからず切り替えて生きている。

立場やTPOに見合った理想の自分像を経験と想像力で構築し、常にそれらを自分の人格として使えるようになったら、それはもう「演技」ではなく「成長」である。

という様なことだったと記憶している。

これに似た話も田坂さんは書いている。
だが、田坂さんの話は前提が少し違っていて「誰の中にも、全ての人格がある」ということだった。

田坂さん曰く人は誰しも多重人格であり、優れた才能がある人や仕事ができる人は、役割や場面に適した人格をいくつも切り替えながら仕事をしていると。
つまり、人から学んでキャラを下すのではなく「すでに自分の中に全キャラ備わってる」のだという。

そして「デキる人間になるためには、自分の中にいるそれぞれのキャラを意識的に育てて、使えるようにしていくことが必要だ」という話だった。

この「自分の中の人格を育てる」てのが、力一さんの言うところの「キャラを再構築して自分の人格にする」てことなのかもしれない。

シンクロニシティみつけるとテンション上がるよね

私はこういう「あ!あなたが言ってるその話、あの人のあの話と同じ構造ですよね!」というのを発見するのが大好き。

「その現象、すでに名前がついてるんです」よりも「それって、何か共通する感覚ってやつじゃん!」てのが好き。
「これと全く同じことに気づいた人が、別の時代の別の国にもいたんです」とかも好き。

つまり、ジョン・ドゥ・パレード的な考え方好きって話。

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