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「不適切にもほどがある」でやっぱクドカンさんすげーなとなって、エラい大層な話になる1000文字くらいの文

私は、世の中に何人か「この人は天才だから」と思ってる人がいるんだけど、その中に宮藤官九郎さんも入っている。
クドカンさんの脚本はすごいと思ってる。

クドカンさんは、最初「大人計画の人だね」という認識で、そこから「面白いお話を考える人だなー」と思って、舞台で生のクドカンさんを見たら「え、かっこよ。謎の色気でとるわ」となったのを覚えてる。
「あまちゃん」は観てないけど「いだてん」は全部見た。
落語が好きなのもあって、サイコーだし天才だと思った。
そして、昨夜が最終回だった「不適切にもほどがある」も、やっぱり面白かった。

偶然にも直前までアマプラでクドカンさん脚本の「うぬぼれ刑事」を見てて、面白かったんだけど「これ2010年のドラマか…いま観たらコンプラ的にヤバいとこいっぱいあるな。てかそれ以前に、見てて普通にドキッとするわ」と思ったところだった。
だから、私としては「不適切」はタイムリーなテーマだった。
「あれ書いてた人だもん、そりゃ色々思ってるだろうよ」て思いながら見てた。
10年前はみんなそうだったんだろうけどね。
でも、たった10年か…。
昭和からの変化どころじゃない、急激な変化だよね。

クドカンさんは多分、世の中の変化に敏感な人だろうから、ご自身で意識的に変えたんだろうけど、それでも「え、これダメなんだ?」てこともあるんだろうな。
やりにくい事もあったと思う。

テレビとかで「コンプラうるさくてやりにくい」って言ってる人はたくさんいるしね。
変われない人・変わりたくない人は多いだろうし、普通は「嫌だなー」で終わりかもしれない。

でもクドカンさんは「世の中が色々変わるなぁ…よし、これで本書こ」からのアレが出来上がるわけだ。
すげーね。


物事ってのは、問題を見てただ感想言うだけでは何も発展しない。
問題に対して「なぜこれが起きたのか」「自分はなぜそう思ったのか」と考えて、展開させることで、自分の考え方が固まったり、作品になったりしていくのだと思う。

問題に対するアクションによってオリジナルの考えになる


「昔は〜」て言うだけでは、ただの年寄りの愚痴だ。
不適切は、そこから「もしも今の自分が昭和に行ったらどう感じるか」とか発展させて、色んなことを当て嵌めてみて、最後に「じゃあ、どうすると良いのかな」という自分なりの答えまで持っていってるから作品になっているわけだ。

頭の良さとか、深みとか、その人なりの人格ってのはこういう作業をどれだけ積み重ねたかで変わるんじゃないかと思う。

それはそうと、じゅん子かわいかったね。

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