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"The LEPLI" ARCHIVES-48/ 「昨日の”友人への手紙”の返信からの一つと、PARIS HOMME COLLECTION'12 S/S-その2」

文責/平川武治:
初稿/2011年6月26日:

 昨日の”友人への手紙”を川久保さんへも見て頂くように
プレスを通じて出した。その答えが展示会へ伺って返って来た。 
 
 『川久保はジャケットを”破壊”したいのであのような女性のものの
ディーテールを使って表現したのです。それだけの事です。』
と言うコメントが返って来た。
 多分、この後には「私はあなたが言っているような理屈ではなく
ただ、そんな気分だったのでこうした。」
と言う言葉を付け足しがなされるのであろうか、いつものように。
 
 ”ジャケットを破壊する。”
このデザイナーらしい言葉使いであるが、既に、今までにこの手法は
幾度も繰り返しなされそして、現在のこのデザイナーの立ち居場所と
ブランドの在り方そして、ビジネスの継続がなされて来ているはずだ。
 そして、何よりも、ここには『HOMME OBJECT』の領域をこえる破壊力はもはや残念ながら、存在しない。

 僕はこのプレスからのコメントを聴いた時に
『今、ジャケットと言うものを”破壊”する事が大事なこゝろの在り様で、
僕たちが”知ってしまったこと”に対しての想いを訴える,伝えたいと言うこゝろの在り様より強かったのだ。
 このデザイナーはどちらが大事なのだろうか?』と言う
青い浅はかな疑問を持った。
 『“ジャケットを破壊”する事と、
例えば、“時代の新しさ”や“新しい時代を生み出したい。”
そのための自分なりの感じ方や思いを、時代観を表現したいが為に
考え、念い選び、つくり出す行為とはこのデザイナーの内においては
同レベルの価値なのであろうか。』と言う迄の事を考えてしまった。
 ”今”と言う僕たち、日本人が持ち得てしまった
”3・11以降”の時代性の元では
何よりも“ジャケットを破壊”する事が表現したかった事だったのだろうか?或は、表現しなければならない手法であったのだろうか?

 ”モノ”を変える事と時代性を思い
そこに或る種の問題意識や美意識を表現し絡めるこの行為
即ち、創造を、僕が尊敬するデザイナー川久保玲から
今、最も多くを感じ取りたいという思いと願望が強かったために
このような疑問を持ったのだが
この変わらぬ自己満足的なる言葉を聞いたとき
僕の身体の中からこの疑問に対する情熱が引いてしまった。

 このブランドの”立ち位場所”はもう既に決まっている。
自分がやりたい事とそうした今に至る創作活動の努力と結果と連続から
周りの人たちからもそのように認められて
この、ブランドの立ち位置が決まっているし,決められている。
自分たちが願い、又そう観られている即ち、”ブランディング力”によって、このブランドの”立ち居場所”を利用し、現在までの存在が在る。
 このような強いブランドは当然だが、極少である。
また、このタイプのブランドを他に捜す事も
現在のようなファッションデザインの状況下では在り得ない。
これがこのブランドの強みであり、総てである。
 この”立ち居場所”を持つ事自体が凄い事であり、
次にこれを表現し、継続してゆく事も
より、大変であり、本当に至難の業である。
 そこには努力と才気と信用と資金と関係性が必要である。
そして、その結果がビジネスにおける継続を産み出している現実もある。
 多分、この“立ち居場所”の事をこの世界では
“うちらしさ”と言われている言葉なのであろう。

 『今なぜ、ジャケットを破壊したかったのですか?』
と言う次なる質問を本心、聴きたい。
が、これは野暮な質問である。
 ここにはあの『裸の王様』が存在している。
現実のファッションと言う実業の世界の事であるから
この世界から自分たちの”立ち居場所”をどのように設定し、継続させるか?そのために、この『破壊』と言う言葉が、
このデザイナー(?)が好きな言葉が機能する。

 ジャケットと言うメンズファッションには非常に解り易いモノを
一つの記号としてこれを”破壊”する事で
次なる意識下へメタモルフェーゼさせるためのリアリティであろうか?
 そして、未だ、このような時代性が現代なのであろうか?

 「モノの革新」を表現する事と
モノの亜流を生み出す事の違いのとは、
その因り所の違いとは何のだろうか?
 僕の答えはその当事者だけが持ち得た
『こゝろの在り様』の在り様でしかない。
 この事を今回のCDG-HPのコレクションを拝見させて頂いて
学んだ事であった。
 ありがとうございました。

 「PARIS HOMME COLLECTION'12 S/S」-その2/
ラフシモンズのコレクションは変わらぬ“RAF-ISM"を精神性として、
まとまりの在る素材感と素材の組み合わせの技法と手法に
そして、彼が選んだ色の世界に彼の時代に対するこゝろの在り様を観た。
見慣れたチェック素材を使って奥行きを感じさせる構築的なパターンを
平面上へ変換するまでの手の込んだ縫製手法と
今にも浮かび上がるまでのグラフィズムを使ったコンビネーションは
一つの世界観までも表現させた。
 そして、彼の嗜好する世界の男の子たちへ丁寧に手渡すが如くの
このデザイナー特有のセンスにこゝろが伝わった、
好きなコレクションであった。
 彼ももう既に、ここへ来て彼自身が何処に立ち位置を決めれば良いかを
熟知してしまったかなり早熟な才気あふれる僕は好きなデザイナーである。
 僕流に言えば、『パジャマとベッドウエアー』が無かった
潔い良いカッコいいコレクション。
 そして以前に、未だ早い頃の彼が、ラ-ビレットで行なったときの
コレクションのイメージを思い出して喜んでいた。
 いつも感じる最近の彼のコレクションの手法に
『ジルサンダーとラフシモンズ』と言う”入れ子構造”を感じてしまう。
 この入れ子構造には2つの入り口がある。
しかし、ラフは一人である。
と言う事はラフのこゝろの在り様は元々一つであるということ。
 この当たり前な矛盾と詭弁が彼の現在の立場での強い手法になっている。彼のコレクション準備に始る”こゝろの在り様”は、
この状態の時には”カオス”でしかないであろう。
 ありがとうラフ君。

 ANNのコレクションは多く観られた、
『パジャマとベッドウエアー』。
それに気に入った風のヴィンテージなジャケットに装飾性をミシン刺繍で
こなしたものとベストの組み合わせ。
 その組み合わせがANNらしさでまとめたもの。 

 蛇足ですが、ここで、パジャマとは
『安らぎへのための衣服。睡眠と言う一番のやすらぎへのために纏う
衣服。』
 ベッドウエアーとは『心地よさの感覚を望むための衣裳。
即ち、性への誘いのためのコスチューム』。
この感覚は日本人には馴染みが薄い。
 が、これがこれからの新たなモードのひとつの潮流へ。
このレベルで言えば、僕の友人の事で恐縮であるが、
ドミニック君の『PAJAMAS』や、
むらたあきこさんがやっと、始めた『MA』と言うブランドを思い起こす。ここにも『新-当たり前主義』的なスノッブな感覚と
『HUMMAN OBJECT』のコンセプトが見取れる。
 
 豊かさを享受した市民生活者における『当たり前さ』は
100人100様である。
が、その中でも幾つかの相似タイプが生まれて来る。
この事が”潮流”を即ち、”トレンド”を見つける手法である。
 
 ゲイプラウドのパレードの当日に併せて行なわれた
B.ウイルヘルムのコレクションは
ジムでのゲイ仲間たちに声を掛けてみんなで愉しくやってしまった
と言うコレクション。
 彼がやれば、こんなにも沢山の人たちが見に来てくれるコレクションが
出来る事が、彼の性格と才能のすばらしさ。
となりに座っていたジャーナリストが
『こんなに売れないものをやっているのだから凄いね!彼は!!』と。
その事に尽きる。
 でも、確実に数点のアイテムは
新しさを提案した面白いものがある事と
アースティックなグラフィズムにユニークさを見つける事も出来る
確かな彼のコレクション。
 変わらぬ自由さがあふれ無邪気な若者デザイナー、気持ちがいい。
下心だけで動いている輩が多くなり、
こんなデザイナーも全く少なくなった時代性だから、
応援したい、がんばって行って欲しい大好きなデザイナーである。
ありがとう、バーナード!!

 そして、ありがとう、巴里。
文責/平川武治。 
初稿/6月26日。-巴里 ST.=CLOUDにて.

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