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星屑の子供・土・琉球南蛮

ツォモリリ文庫にカレーを食べにいったら、星屑の子供という淺井裕介さんの展示がやっていた。

星屑の子供。と題して、おそらく、石巻の鹿だったり。

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人間の子供、草、木。いろいろなものが、飾られていた。それぞれが、星屑の子供のひとつなんだろうか。

作者の淺井さんはその日、ライブペインティングをしていた。

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「星屑の子供」

とってもいいタイトルだなぁと思った。
今読んでいる、「星屑から生まれた世界」、あるいは、


去年から毎日のように聞いているTED TALKS、天体物理学者、ラミレスルイスの「私達は星の華やかな死から生まれた」の世界像を思い出す。


We are all atomically connected.
Fundamentally, universally. But what does that mean?
(私たちは原子的につながっています 根本的に 普遍的に どういうことでしょう?)

このセリフから始まるスピーチに聞き入り、宇宙の始まりから生命の誕生、そして未来について、心を寄せていく時間は、通勤の車の中で、とても良い時間だった。

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星には寿命がある。

寿命とともに、星はースーパーノヴァエクスプロージョンー超新星爆発を起こし、宇宙に散らばる。爆発と散らばるエネルギーが、新らたな元素を生み出し、130億年の時間の中で、より重い元素をつくっていった。

(関係ないけれど、スーパーノヴァといえば、自分の中ではこれ。)

生命も、生命以外のものと同じように、寿命を迎えた星の死によってもたらされる、元素によって成り立っている。人間の体は、ほとんど4つの元素から成り立っている。酸素、窒素、水素、炭素、これらの元素が96%もの構成要素を占めている。

まとめると

・元素は星の爆発で生まれた。
・私たちの身体を含む、世界にある全ての物質は、元素から構成されている。

ということになる。

そこから
この世界は、星屑の子供である。
世界像が成り立つ。

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自分の身体が、元素から成り立っていると言えども「あぁ、今日も俺の身体は、元素から新たな細胞できあがってるわぁ。電子のやりとりびんびんに伝わってくるわぁ!!」ということを、ひしひしと感じることは、ない。
それでも、地球には、それを身近に感じさせてくれるものがある。

それは、海だ。

話は飛ぶが、今、仏教の本を読んでいる。仏教では諸行無常という価値観がある。全てのものは移ろいゆく。変化しないものはない。ということを表している言葉だ。

それでも僕は、今日と同じような明日がくることを、予測をしている。明日も明後日も、10年後も生きているだろうなとなんとなく感じている。

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あっという間に時間が過ぎていく。

諸行無常な生死の物語の真っ只中にいて、細胞も毎日生まれ変わっているにもかかわらず、変わらないと思える日々が続いていく。なんなら、こんな退屈が一生続くのか。と感じてしまう日々もある。

なぜか。

それは、僕がとっても安定な地球に生まれ、平和な日々の中にいるからだ。

例えば、生命のみなもとである海は、一度も凍りきったこともないし、蒸発しきったことがない。数十億年、水が循環し続けている。

このことは他の星から比べれば、ものすんごい安定しているということを本で読んだ。(地球がまるごと凍ってしまうくらい寒い時でさえ、海の水分は凍りきらなかった!)

私が生まれる前も、死んでからも、おそらくホモサピエンスが絶滅してからも、海はそこにあるはずで。

目の前の海は、僕が子供の頃から、大人になった今も。ただ、ずーっとそこにある。

その海を目の前にすると。それは何十億年の海の歴史を知らずとも、無常なものではなく、変わらない、安定したものだと感じてしまう。

その海が、実は元素を感じるにはもってこいの場所でもあった。

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ちなみに、この写真の海は僕が育った小笠原諸島の父島の海で。
僕がいまだにボケーっと生きているのは、毎日毎日、海を眺めてボケーっとするしか、やることがなかったからだと思うのだが。

あの頃、千葉聡さんのように、生物学的にこの島がどれほど面白い島なのかを、僕らに教えてくれる大人が周りにいたら、どれだけよかったのかと。

地元の小笠原の物語がたくさん出てくる、この本を読んだ時は、そう思わずにはいられなかった。

毎日毎日、ボケーっと眺めていても、全く飽きなかった小笠原の海。

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あるいは、3年間過ごした気仙沼。ワカメ狩り行って船の上で朝日を迎えた海。

いろんな場所で海を見てきたけれど。なんと、その海には、天然に存在する元素のほとんどがイオンのかたちで含まれているという。いわば【星屑から生まれたすべての要素】が目の前の海に溶け込んでいるのだ。

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(newton別冊、元素と周期表より)

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海には「天然に存在するほぼ全ての元素」が溶けている。その壮大さに、普段ボケーっとしている分も含めて、余計に頭がクラクラしてしまう(そして、そこには未発見の「何か」が潜んでいるのもすごいことだ)。観察や予測により「事実」として、海に溶けている星屑のかけらの存在を突き止めていく科学者たちには、敬意を抱かずにはいられない。

そして、人間の細胞の外側を流れる水分の成分は、海にとても似ている。これは、陸上にたどり着くまでの20億年以上暮らしてきた「海中」という環境を保ったまま、陸上の生き物として、暮らしている名残なのか。

科学者でもない、ただの一般人の僕でさえ、TED TALKSでのラミレスルイスの言葉が頭を過ぎる。

what does that mean?

なんだ、これは?


地球ができて約40億年、生命が誕生してから、約30億年。そして、生命が陸上にあがってから、約5億年(まだ5億年!!!)。

生命が陸上にあがり、ようやく土ができた。

土ができてから、陸の生命活動がはじまったのではない。生命活動の結果、土が出来上がるのだ。「昔生命だったもの」が混ざらないと、それは、土とは呼べない。


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土ができてから5億年。もはや土がないと生命の営みが成り立たない複雑さの末に、人間の生活が成り立っている。

そして、その人間の細胞も、陸上にあがれども、海に近い成分の水分でその周りを満たされたまま過ごしている。元素のやりとりをし、エネルギーをつくり、自己増殖をしながら、今日も命を進ませている。

海もすごいが、土もすごい。


5億年の歴史を土にフォーカスした、この本を、今、読みなおしている。著者の藤井さんを検索したら、ツイッターで、淺井さんのツォモリリ文庫の活動をリツイートしていた。


そういえば、おかずくん(ツォモリリ文庫の人)が藤井さんに、講演会やってもらったって言ってたなぁと思って。

「おかずくん、藤井さんと淺井さんて、知り合いなの?」

と尋ねたら、その講演会では、淺井さんと対談してもらったと言っていた。

土の博士と画家が、どうつながるねん。

疑問に思っていたら、どうやら淺井さんは、自分で掘った土を乾かし、絵具を作っているらしい。

「無人島でひとりになっても、絵が描けるように」ということから始めたらしいのだが、無人島に行かなくても、各国で現地の土を絵具にして絵を書いたりしているらしい人だった。

淺井さんは、画家だけど、土の人だった。

(たとえ、無人島に遭難したとて、絵を描こうと思える精神性はものすごくかっこいい。

そのような、自分の「仕事」が、あることは、生きる上でものすごく大切で。淺井さんは、絵に生かされているなとも思う。

では、僕にそういうことがなにかあるのか。なにによって生かされているのか。新たな答えを見つけていかないといけない。)

ライブペインティングの前に、隣のテーブルで淺井さんがカレーを食べていたので。挨拶をして、ちょっと話していたら。


淺井さんが「藤井さん、土ともだちだよ。でも土が12種類しかないって少なすぎるよね」っていう話をしていた。もっとその話の続きを聞きたいなと思った。

(この本で藤井さんは、世界中の土を12種類に分けて解説してくれている。その話の感想として淺井さんはそう言ったのだった。)

たしかに、自分の仕事だった鮨ネタに例れると。

同じサワラでも、太平洋のサワラと日本海で水揚げされるサワラは全く観室が違う。

なんなら、同じ産地でも、昨日さばいたサワラと、今日さばいたサワラでは、味だったり、脂のノリも微かにちがう。

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「絵具」として、土を感じるようになるのならば。確実に12種類にはおさまり切れないだろうなということとは、簡単に想像できる。

「あの年の、7月に、大雨の日あったじゃん??その後のあそこの山の土、めっちゃ、いい色でたよね」

細分化するとそういうことになるんだと思う。
そうなると、12種類どころか、「その日その土でつくった絵具」は、もう二度と同じ色を醸し出すことができないのかもしれない。似ているようで、微かに違うのかもしれない。

やっぱり、土も海も、諸行無常なのかもしれない。


そして、ツォモリリ文庫では、ものすごい良い買い物をした。

先日、とある陶芸家の方に、杯を贈っていただいた。

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陶芸と言えば、土だ。

土と言えば藤井さんの本。2冊あるなかで、どちらかと言えば、僕は大地の5億年が大好きなので、それをお返しに贈ろうとしたら。キンドル版しかなくて、紙の本は絶版で、中古で8000円くらいもした。



だから、その本、送るの諦めたんだよねー。

というはなしを、おかずくんに話をしたら、なんとツォモリリ文庫にデットストックがあって。手に入れることができた。超ラッキー。

代わりに【土 地球最後のナゾ】を、友人を介して渡してもらったのだけど。こちらも喜んでくれたみたいでよかった。


送り先の陶芸家の其飯さんは、琉球南蛮(あらやち)、という焼き物を焼いていて。
紹介してくれた友人は「其飯さんの、焼き物から感じる生命力がすごい」と言ってて。その話を聞きながら。

もし、器から生命力を感じることがあるならば、それは、土に還った生命だったなにか、もしくは、その中にいる微生物やカビの生命力をうまく引き出せているということだなーと思って。

僕がそんなことに思いを馳せられたのは、「土」に関しての知識を、藤井さんの本のおかげで、知れたからであって。

大地の5億年を、どうしても贈りたくなったのだった。


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「ほんとはこっちを贈りたかったんです」

もう一冊は、いつか直接渡そうと思う。と、交わしてもいない、約束を守れたらいい。

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