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褒めない母

タイトルどおり、私の母は絶対に褒めない人だった。

それでも子供というのは健気に母親から褒められたい生き物である。私も小学校までは必死に母の気を引こうと頑張ってみた。

苦手だったかけっこも、ものすごく頑張って3位を取ったり(いつもビリから2番の私からすれば歴史的快挙だった)、水彩画で賞状をもらったり、私の能力の範囲でできる限り頑張った。

でも母からは「頑張ったね」の、このありふれたシンプルな言葉が出てくることはなかった。ただ単に褒めないならまだいい。母の場合は褒めない代わりにガッカリすることを言う。「◯◯ちゃんはもっと速かったじゃない」「この賞状って誰でももらえるんでしょう」みたいなことを。

ある時、気づいた。「1番じゃないから褒めてくれないんだ!」

でも特別頭の良かったわけでも、運動神経が良かったわけでもない。飛び抜けて1番になれるものがなかった。そんな時(小学生6年)、社会の時間に年号テストを行い、100点満点でテスト結果は1位からビリまで全員名前を載せるという知らせがあった。年号さえ覚えればいいのだ。頭の良い悪いは関係ない。これは私が1位を取れる唯一のチャンスだと思った。

それから必死になって年号を覚え、その結果みごと100点で1位を取った。ちなみに100点は私だけだった。これで母に「100点なんて二人もいるじゃない」とは言わせない。自信満々で母にテスト結果を見せた。当然「すごいじゃない」の一言くらいあるだろうと期待して。

「へー、先生も全員の名前を載せるなんて思い切ったことしたね」最初の一言はこれだった。さすがにこの時だけは納得いかず母に食い下がった。「なんですごいねって言ってくれないの?頑張ったねって言ってくれないの?なんで、なんで!!!」泣きわめいたと思う。それでも母は褒めることはせず、「褒めたところでなんかいいことあんの?」と逆ギレされた。そしていつものように部屋の隅まで追いやられて叩く蹴る。口答えするとこうなるのが決まりだったからだ。

これが、私が母に褒められるために頑張ったことの最後だった。そう、諦めたのだ。

それから私は自分のために頑張った。中学に入り英語が大好きになり、どの教科より夢中になった。その度に母は私のやる気を阻害するような言葉を発した。「英語だけできて何になる」「本当にできる子は小学生からやってるんだよ。もう遅いんだよ」「お前ごときの人間がそんなことしたって、大した大人にはなれないよ」などなど。。

当然ながら私の教育への投資は一切関心なし。当時みんなが使っていた流行りの参考書などもバカにして買ってくれなかった。学校以外でかかる費用は1円足りとも出さなかった。なので習い事もなし。ちなみに父親は公務員で特に貧困家庭だったということはない。子供の才能を信じてそれに惜しみなくサポートしてくれる友人達の親が、本当に心底うらやましかった。

もちろん、真っ向から否定されるので自分の将来の夢など母に語れるはずはなかった。気がつけば、自分の母親はこの世の中で一番何も話したくない人間になっていた。

同じ女として、何でこの人子供産んだんだろうって思ってた。明らかに子供嫌いなのに。母親なんかになるなよって。

そんな母は、私が中学生の時に癌になった。ステージ4かなんかで、当時の医療ではすでに助からない状態だった。

私は思った。さすがの母も余命いくばくもないと知ったら弱気になり、改心し変わるだろうと。私自身も、残り数年なら素直になって母親とうまくやっていこうと思った。

この話のすごいところはここなんだが、母は余命宣告されても一ミリも変わらなかったのだ(笑)ここから話が好転して、母と娘の絆が深まるというような感動ストーリーをうっかり期待した方すみません。

母親が急に病気になったことにより、中学生の私はたった一人で弟妹そして全く家事をしない父親の面倒を全て請け負うことになり、放課後、友人たちが帰りにカフェに寄ったり(当時は喫茶店だけど)遊んだりしているのを尻目に私はまっすぐ帰宅し、膨大な家事を一人でこなした。でも、そのことをもちろん知ってる母は、何も労いの言葉をかけてくれることもなかった。

そして数年の闘病生活の後、死んだ。私が高校1年の時だ。

とはいえ、自分を産んでくれた母親だ。「悲しいに決まってるでしょう」と決めつけるのが他人である。悲しくないに決まってんだろ。でも、面倒くさいから表面上は悲しいふりをしたけど。どうせ分かってもらえないだろうから。

お母さん。私は昨日、お母さんより年上になりました。自己肯定感やら自尊心なんて物を、根こそぎ奪ってくれましたね。結局、あなたが投げかけた言葉どおりの人間になりましたよ。大したことのない人間にね。でもあなたは間違っていたという証明に、私の息子は素晴らしい人間になりました。なぜかって?生まれてから毎日、本当に毎日「大好きだよ」って言って育てたからです。まぁ、わかんないでしょうけどね。




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