旅のことや過去の思い出、日常

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最近の記事

令和5年と旅

もう年も暮れに近付いてきた。今年はよく歩いた。旅先で「ここまで歩いてきた」と言うと奇異の目で見られるのにもだいぶ慣れた。歩くのは好きか嫌いで言えば好きである。けれども何より楽である。車だと移動中に写真を撮れないとかお金がかかることも一因ではあるが、歩いているときは自分自身にだけ責任を課せばいい。それはいろいろひっくるめて言えば、自分が怠惰だからに違いなかった。 思い返せば今年は1月から毎月どこかしらに行っていた。しかし旅行中以外の記憶はすとんと抜け落ちている。いや、他に特筆す

    • 久々に音楽を聴いた日

      音楽的な素養がまるでない。自分に音感やらリズム感がないことを実感するには日々の暮らしのなかで充分だった。今の暮らしのなかでも音楽に触れる機会があまりない。イヤホンは数年前になくしてから買っていない。 それでも旅行中に気分が高揚したり、ひたすら徒歩で移動する時に歌を口ずさむことぐらいはある。大抵はむかし聞いていた邦ロックの曲が多い。 高校生の時分、あまりにも音楽とは無縁だったから周囲のヒットチャートの話にはついていけなかった。そんなこともあって、音楽を聴いてみようとレンタルC

      • 冬、会津にて

        盆地の冬は冷え込む。冷気は山々に閉ざされ、わずかな平地に沈み込んでいた。布団から身を起こす。湯たんぽと毛布の温もりだけが暖かい。炬燵のスイッチを入れてから、顔を洗おうと廊下へ一歩を踏み出すと爪先から激流のように冷たさが全身を駆け抜けた。一気に目が覚める。 ここ何日かで一気に降り積もったという雪は、春になるまで溶けることはないのだろう。会津の冬は長い。雪融けを待ちて静かにただ忍ぶのは、人間も動物も草木も同じこと。そんな季節にわざわざ足を運んでしまうのは、その滞留した山あいの空

        • ブチや

           時折、猫になつかれることがある。実家でも飼っていたので猫は好きだ。実家の猫は真っ黒な毛並みに赤いリボンを結わえた首輪を付けている。遊びに来た友人に「魔女宅のジジみたいだね」と言われながら撫でられると、心なしか満足そうな表情をして顔を掌にこすりつける、なんというか自分の可愛げに自覚のある猫である。そんな猫と過ごして5年あまり、今では実家を離れてしまっているが愛猫家としての血が醸成されている。傍から見れば不審そのものだが、旅先の路地に猫が現れると迷わず身を低くし甲高い声で猫に声

        令和5年と旅

          日和佐に至るまで

           思いがけず降りてしまった。ドアが開くと、潮の香りがたちまちに出迎えた。香りにつられるようにして一歩を踏み出すと、じわりと靴底から雨上がりの湿り気が伝わる気がする。その感触を頼りに足元に目を向けると、柔らかな初春の日射しは角度を低く照り付け、ホームに影を伸ばしていたのだった。   その日は朝から雨が降っていた。岬にほど近い港町で目を覚ますと、雨音が外を満たしている。どうしようか。バスの本数も限られている。とりあえず、頼りない折り畳み傘を開いて宿を出た。  岬は前日に訪ねてい

          日和佐に至るまで

          F湖の標

           しばらくぶりに実家に帰り、親の車を借りた。車を走らせ、国道から一本逸れた道に入った。ハンドルを切りながら視線を左にやると、何やら違和感がある。ずっと放置されている休耕田が広がるだけの殺風景な場所なのだが、記憶の中に増して殺風景に感じた。それが何の違和感なのか、しばし考えると、ひとつ思い当たった。  そこにはある看板が立っていた。そして、その看板の記憶は、ある田舎町の騒動を思い出させるのだった。  その看板は黒地の板に黄色と白の文字で「ごみ処分場建設反対」と書かれていた気

          F湖の標