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久々に音楽を聴いた日

音楽的な素養がまるでない。自分に音感やらリズム感がないことを実感するには日々の暮らしのなかで充分だった。今の暮らしのなかでも音楽に触れる機会があまりない。イヤホンは数年前になくしてから買っていない。
それでも旅行中に気分が高揚したり、ひたすら徒歩で移動する時に歌を口ずさむことぐらいはある。大抵はむかし聞いていた邦ロックの曲が多い。

高校生の時分、あまりにも音楽とは無縁だったから周囲のヒットチャートの話にはついていけなかった。そんなこともあって、音楽を聴いてみようとレンタルCDを借りて、父のお古のウォークマンに落とすようになった。
BUMP OF CHIKEN、RADWIMPS、ASIAN KUNG-FU GENERATION……このあたりはやっぱり好きだった。でも、当時の流行りのアイドルグループやダンスユニットの曲には何だか馴染めず、結局のところは音楽の話についていけることはなかった。月の小遣いは限られていたから、興味のないものにまで構っていられなかった。そうして、聴き馴染む曲ばかりウォークマンに落としていたら、いつの間にかプレイリストは邦ロックがごちゃ混ぜのよくわからない代物になった。

いちばん聴いていたバンドは何かというと、おそらくLUNKHEADだと思う。1999年結成、愛媛県出身の4ピースバンド……というWikipedia的な説明はさておいて、曲を聴いてもらったほうがいいと思う。

LUNKHEADの青々しくて力強いサウンドと、内的な葛藤を赤裸々に歌った詞がかっこよくて好きだった。当時の自分は何回も聴いていた。何にそこまで惹きつけられたのか、うまく言語化できないし気恥ずかしい感じがするけれども、自己投影とか自己陶酔とか、そういう類のものと思う。それなりに悩み多く停滞していた日々だったから、その鬱屈を曲に乗せて歌うLUNKHEADはしっくりときた。高校から駅までの15分間、LUNKHEADを聴きながら日暮れた道を帰った。

周囲に彼らの曲を知っている人はいなかったし、カラオケで歌っても自分の歌唱力では魅力が伝わりもしない。ライブに行くという発想もなかった。だからまつわる思い出といってもただ聴いていただけ。それでも、卒業式を終えてから自室で『潮騒』を聴いたことはよく覚えている。海の音なんてどこからも聞こえない内陸の町。新しい生活への高揚感と、故郷を発つ寂しさと、そんな寄せては返す心の中だった。

今、夜空を染めるように蒼く潮騒が爆ぜる
僕らが生きた退屈なだけの街
こんなにも当たり前の夜 当たり前の景色の事を
最後に僕は
瞼に
焼き付けた

「潮騒」『青に染まる白』収録

それからしばらくして音楽を聴かなくなったのは至極単純な話で、ウォークマンが壊れたからだった。データは実家の共用PCで落としていたから、容量を軽くするために消していた。金欠で買い替える余裕はなかったし、また一からプレイリストを作り直す気力もなかった。友人に誘われて何度か流行りの歌手のライブに行ってみたり、日雇いバイトでライブ会場の設営をしていたこともあったけど、自分から音楽は聴かなかった。それなりに充実した日々だったのも大きいかもしれない。
その間、LUNKHEADの名前を聞くことはなかった。テレビをつけても彼らの名前が出てきた記憶はない。

ここからは最近の話。今年に入ってからどうにも気が滅入ってしまって、駄目になっていた。原因ははっきりしているのだけど、自分でどうにかできる話でもなければ自分から切り離せる話でもない。時間が解決するのを願って逃げた。それは最善だったに違いないが、解決策ではなかったらしい。悩みが現実に追いついてきているのが見える。そのうえ内側の問題に構っているうちに外側でも悲痛な出来事が起きる。こうも立て続けに追い立てられてはどうにもならない。寝付きが悪くて酒を飲む。

鬱屈が日常にも影響している。旅程も立たない。そんな状態のままでいるわけにもいかない。年末に某アニメを見たこともあり、気晴らしでもしようかと考えて、何となく高校時代もそんな気持ちで音楽を聴いていたことを思い出した。臥せっていても耳は空いている。そして、しばらくぶりにイヤホンを買った。

今は便利なもので、スマホのアプリひとつで音楽が聴ける。アプリをダウンロードし、あの頃は何を聴いていたっけと振り返って、LUNKHEADの名前を思い出した。調べるとまだ活動しているようだった。少し驚いた。幸い彼らの曲もアプリにあったので、聴いてみることにした。
今となると青々しさを通り越して青臭さすら感じる。でも、それが良かった。確かにあの頃もこんな気持ちでこの曲を聴いていたなあと懐かしい感情を覚えた。
希望や活力にあふれているわけではない。励みではなく慰みのほうがしっくりくる。でもあの時、LUNKHEADを好きだった理由は、弱さをさらけ出して歌う姿への憧憬だった。

下北沢に足を運んだのはつい先日のこと。彼らがどんな風に、どんな顔をして演奏しているのか、見てみたくなった。初めて聴いてから10年の月日が経って、ようやく聴きに行くなんていうのも変な話だと思う。
新宿で私鉄に乗り換えて、下北沢の駅で降りる。足取りは軽くはない。大学生になって初めて訪れた時とは駅前の様子はだいぶ変わっていた。駅も立派になっている。しばらく商店街を冷やかして時間をつぶし、それからライブハウスの階段を下った。客入りは結構あった。自分よりも年上が多い。特別上背があるわけではないけど、前のほうに陣取ると邪魔になりそうなので後ろに下がる。ちょうど壁際にもたれるように位置を確保できたのは幸いだった。
しばらくして会場は暗転し、ステージ上は目まぐるしく照明の色を変えた。光に照らされて袖から4人が顔を出す。

かつてアルバムジャケットで見た顔と比べてみて、皺が増えていた。それは当たり前のことだけど、それだけの月日が経っていたことを示していた。演奏が始まる。技術的なことは何もわからないので、説明のしようがない。でもやっぱりかっこよかった。今日のライブは1stアルバムと2ndアルバムの再現ライブだった。懐かしい曲が次々と演奏されていく。照明がメンバーを照らす。眩さのなかにPVで見た彼らの姿が重なった。そして何となく、それを見て聴いている自分もまた10年前に重なったような気がした。

ライブが終わった。観客たちが外へとはけていく。2時間半の長丁場、終わってみればあっという間で、立ちっぱなしの足に残る疲労感だけがこの時間を証明しているように思えた。誰もいなくなったステージに目を向ける人はいないけれども、あの音が残響している気がして、この場を立ち去るのが惜しい気がする。結局、人の流れに逆らうこともなく会場を出て、それから独りビールを飲んだ。

またライブに行ってみようと思う。


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