ちょっとしんどくて2


私のしんどさ


キムジヨンを翻訳しはじめたことで少しずつ気づいてしまった、不満とも違う、しんどさ。

もっとお金があったらいいなとか、痩せたいなとか、誰もが当たり前に持っていそうな願望はもちろんあるし、満たされているわけでもないけれど。
貧しいわけでもなく、かわいい子供たちと幸せに生活している、はず。

でもそこには私が妻として母として消費されているからこそ、という部分がかなりあってそれを誰も気づいてない。

「お母さん」は無料の労働力なんです。


夫というひと

出会ってから気づけばもうすぐ干支が1周してしまう。
いつのまにこんなに長い間を過ごしているんだろうと改めて思う。

夫は優しい人だ。

いい旦那さんで、いい父親だと思う。

私の母はまるで本当の息子のように夫を可愛がっていて、私と夫が楽しそうにしている姿を見ると本当にうれしそうな顔をしている。

私の父がそうだったけれど、亭主関白っぽさは微塵もない。

だけど、そんな夫から滲み出る私に対する無意識の女性としての役割の押し付けが辛い。


たぶん自民党みたいな。

私は特にこだわりもなかったけれど、例えば私が「結婚したら私の旧姓になって」と言ったら私とは結婚していなかっただろう。

夫婦別姓を選べたとして私が旧姓を希望したら、返事はオッケーだったとしても内心めちゃくちゃ嫌がっただろう。

そうは見えないけど、たぶん家父長制が色濃く身についていると思う。

彼は、「おーい!お茶!」の家庭で育った。


男たちはリビングでくつろぎ、専業主婦の母親がひとりでバタバタ家事や料理をする。
典型的な昭和のおうちみたいな家庭で育った夫。

結婚当初はもっと衝突したし、たくさん説明もした。
きっと彼は結婚したことでいろんな意味での安心を得たと思ったのだろう。

テレビのニュースで自民党のあれこれを見るたび、あぁ夫みたい、と感じる。


いろんなしこり

パートの私に対し、正社員の夫。

もちろん口に出したりはしないけれど、夫は私のことをきっとバカだと思ってるんだろうなとふと時々ふわっと感じる。

パートだし、気楽だし、責任も自分よりはないし。
「二人とも働いているけれど、俺とは違う」
ビンビンに感じています。

私には忘れられない出来事があって。
結婚して子供が生まれた時に保険を見直しに行った時。
夫が亡くなったら生命保険が必要だけれど、奥様の場合は収入もそんなにないしダメージがないので必要ないと考えますというような係りの人の説明に夫は笑って同意していたんです。

へぇ〜。
私ってこの家でその程度のものなのか。
亡くなってもこの人にとっては何のダメージもないのか。

子育てのために週30時間に留めているけれど、それでも両立のために一生懸命がんばっているけど、それってゼロ円なのか。

だったら私が毎日しているこの苦労は何なんだろう。
無料の労働力なんだなぁ、とずっと考えている。


外に遊びに行くのもそう。
外食も疲れるし高くつくし、私がお弁当を作ったら原価のみ。

そうですよ、そうですけども。

子どもの病院や、送り迎え、仕事のことも考えながらあれこれスケジュールを組み立てる。夕ご飯の買い出し、帰宅してわーわー騒がしい子どもの相手をしながら夕飯を作る。

食べ始めた頃に帰宅する夫に、私の苦労は少しでも見えているだろうか。
それとも「お母さんだから」すべてノーカウントにされてしまっているのだろうか。

私の1日のハイライト

夕飯作りが1日のハイライトだなんて、悲しすぎると思いませんか。

幸い仕事がめちゃくちゃ楽しくて向いていると思っているのですが。
それでもやっぱり夕飯作りが私のメインです。

買い物行って作って食べさせて、片付けて。
これが私の人生と言ってもいい。

でもどうして、これをずっと毎日私が担っているの?とふと思う。

「今日は俺がするよ!」って何で一度も言わないの。
私より賢いんでしょう?ずっと私より優秀なんでしょう?
だったらどうぞ、やってみせて。やりくりも全部もっと上手にやってよ。

趣味があるものいいよ。だけど私を巻き込まないで。
自分で調理もしないのに魚を持って帰ってこないで。

キャンプで料理ができるなら家でもしたらいい。
別に凝った料理なんてしなくていい。

でも絶対しない。めんどくさいから。

押し付けられる、がいるから。




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