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【白昼夢の青写真 case1 二次創作 第3話】

昼食時の大学の食堂では、それこそ人の数だけ会話が飛び交っている。

「波多野秋房さんの、『いつかの白昼夢』読んだ?」
「読んだ読んだ!泣けるよね。最後、主人公の女の子は、死んじゃってるのかな。それとも、生きているのかな。」

「なんかね、発売後にも改稿してるらしく、いろいろ加削があって、初版、第2版、第3版…それ以降とでは、それぞれちょっとずつ解釈が変わるって話だよ。
より新しいものこそが正史っていうか、古い版は新しい版が出た時点で撤去されるんだって。徹底してるよね。」
「えーっ。すごいといえばすごいけど、何だか新しい商法みたい。」

「でもさ、自分と同じ大学に通ってる人が、在学中に既に売れっ子作家になるって。近いようで遠いよね。存在が。」
「むしろここまでいくと、たまたま大学が同じなだけで、実際は抜きん出て天才なのよ、きっと。」

波多野くんは、学内でもすっかり有名人になっていた。ただ、先日の祝賀会以降、大学には来ていないみたい。ああいう性格の人だから、交友関係も広くて、いろんな場所に顔を出してるのかな。有名人も大変だな。

「それとも、新作の筆が進まなくて、髪の毛をむしりながら、呪詛を飛ばしながら、懊悩苦悶してるとか。」

あの怪物に限ってそれはない、と頭をふった。同時に、いまいち冴えない風貌の有島くんが目に入った。相変わらず、着ているものが安っぽい。

「ひとり?あっ、カレー食べてる。って、食べながら本を読んでるの?」
「ああ、…祥子さん。こないだはごめん。」
そう言ってズボンのうしろポケットにしまった文庫本は、カバーが掛かっており作品名は分からなかったが、何度も何度も読み返したであろう形跡が窺われた。

「こないだ」。結局、2人で会を抜け出して、終電の時間まで創作に関するとりとめのない話を続けた。高田馬場の、ファミリーレストラン。有島くんとのおしゃべりが、あんなに楽しいとは思わなくて。

「ごめん」は、私が波多野くんと話したいと思っていると感じたから?そんな変な気の遣い方が有島くんらしくて、微笑ましくなる。

「そうそう、こないだの写真。」
そう言って、有島くんに写真を渡す。

「えっ…恥ずかしいな。」
「何が?」
「いや、写真なんて撮らないから。」

「私と一緒は嫌?」
「そんなことはないよ。けど、祥子さんこそ、ぼくと一緒に写真なんか撮って、どうするの?」
「未来の大小説家先生との貴重な1枚だから、大切にする。」

有島くんは、何も言わず目をそらした。
「冗談。でも、ふたりともいい笑顔だと思わない?」
「そうだね…けど、やっぱり照れ臭いな」
有島くんは、薄く笑った。顔立ちは悪くないと思った。

「ちなみに、なに読んでたの?」
「宮沢賢治の「よだかの星」だよ。よだかは何にも悪くないのに、よだかであるだけで鷹たちにいじめられて。お星さんたちにも受け入れられなくて。
存在意義であるとか、居場所であるとかについて心が揺れたときは、何だか無性に読みたくなる」

心が揺れるって、波多野くんの祝賀会の影響だろうか。

「ぼくも、よだかの言葉ではないけれど、別に悪いことをしてるつもりはないんだよ。でも、普通の人が普通にできることが、上手くできない。みんなとは、なにかが違ったんだ。一匹狼というよりは、群れに入れない羊という方が正しい。」

「集団内の暗黙のマイルールというか、そうした小さな常識にも、馴染めないことが多かった。なぜ?という点で、納得できないことが多かった。納得できないことには、程度に差こそあれ、ちゃんと従うことができない。面倒で難儀な性格だと思う。
よだかのようにいじめられこそはしないけど、そんなふうなので、周りの目も、どこか好奇じみているというか、異物を見る目というか、いつだって居心地はよくなかった。」

「だから、悪くない人が悪いように扱われる理不尽さとその辛さは、痛いくらい伝わる。居場所を求めているにも関わらず、受け入れられないときのその辛さも、また同様に。」

それなりに器用な私は、有島くんの言っていることは、わかるといえばわかるし、頭では理解できるけど、しかし感覚の面で、根っこの部分で共感することはできないだろうな、と思った。

「有島くんは、優しい人なんだ。感受性も強い。」
「そして、わたしは有島くんが普通じゃないとか、そんなことは思わない。普通にしっかりしてると思う。考え方とか。」

有島くんは、特に反応を示さなかった。

もっと、話してみたいかも。
「今度、遊びに行かない?次の日曜はどう?」
「次の日曜?誕生日なんだよ。」
「えっ、誰か女の子に祝ってもらうの?」
応が否かしかないと思っていただけに、予想しない回答だった。いや、そういう女の子がいても別におかしくはないけれど、やっぱり意外。

「そうじゃなくて。…つい口に出ただけだから、忘れて。」
安堵する自分に、少し驚く。

「だったら、私に祝わせて?」
「だから、忘れて。気を遣わなくていいよ」
「んー、私が祝いたいんだけど。とりあえず日曜はあけてて。」
「…わかった。」
強引に押し切ってしまった。私は別にそういうタイプではないのだけれど、どうも有島くんの前だと調子が狂う。

「あと、写真、大事にしてね。」
最後に、変なお願いまでしてしまった。

           * 

初めてのデートは、彼の誕生日だった。
あれから、何年経ったかな。
「誕生日、おめでとう。」
今日は彼の42回目の誕生日。
それだけ打って、スマホをしまう。

夜は帰らない。ついに私も、夫でない男に抱かれる。
何度も何度も、そんな小説は読んできたけれど。

私たちは、もう、戻れない。

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