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【白昼夢の青写真case2 2次創作 「沛雨」第2話】

エドの伝手でやってきた医者は、終始、重々しい表情だった。疲れていただけだ、酒があれば治る、と抵抗する父を説得し、診察にこぎつけるまで、2日がかかった。その間、父の目が見えなくなることはなかったように思う。しかし、店を開くことはなかった。父なりに、思うところがあったのかもしれない。

「詳しい原因などは、私にも分かりません。ただ、似たような症状を訴える人たちを、何人も見てきました。」
医師はそう前置きし、本題に入った。
「ジョンさんは、お父さんは…今はまだ、目が見えている時間の方が長いと思いますが…遠くない将来、ほぼ確実に失明するでしょう。」

ある程度、予想していたとおりの結果だったとはいえ、その言葉はあまりにも重たかった。目の見えているはずの俺が、視界から光を失ったかのような感覚に陥っていた。

有効な薬や治療法などについて確認しても、有意な回答は得られなかった。ただ、高額な治療費を払っても症状の改善が見られなかった、という貴族の話を例に出し「お金を出せばどうにかなるとは考えるな。」とクギをさされた。残酷で無情な現実を通告された一方で、とても良心的な医者だと思った。

気休め程度の薬と診察料を交換したあと、俺とエドは、ありがとうございました、と言って医師を家から送り出した。加えてエドが「2階の件は、しばらくは…」と医師に話すと、医師は軽くうなずいた。

          *

「じゃがいもの皮剥きは終わったのか。」

店の方まで下りてきた父が口を開いた。

 「ジョン、あぶないですよ。階段を下りるときは、声をかけてくださいと言ったでしょう。」

父はエドの注意には耳を貸さず、店内の清掃を始めようとする。

 「できてないのか。家の手伝いひとつ出来ないとは、ろくでもねえダメ息子だな。今からでもやっておけ。あと、酒を一杯頼む。」

「…悪い。でも、店、やるのか?やれるのか?」

「閉めっぱなしで、どうやって生きていくのだ。2日分の穴は大きいぞ。そう、生きていくためにも、まずは酒だ。」

 酒酒うるさいことはともかく、父の様子に異常が見られないことに、まずは安心した。しかしながら今後、父の目が見えなくなるということは、確定した事実だと言っていい。

 泣いても祈っても、父の目はもう戻らない。目の前の事実から目を背けても、仕方がない。店を閉めていた2日間、俺は俺で、これからの生活を、自分の人生を考えていた。

行商の息子は行商。貴族の子は貴族。それがこの国に存在する「階級」だ。

俺は遅かれ早かれ、この酒場で働くことになる。誰かと結婚し、子をなせば、その子がこの店を継ぐ。それが俺の人生の既定路線だ。

父から俺、そして俺から俺の子へ。生物としても、社会を構成する部品としても、そうした役割をつつましく果たしていく。それがこの世の中のルールだ。

今回のことは、予想していたそのときが、少し早まっただけのことだ。俺は自分の決意を口にする。

「…わかった。だが、カウンターには俺が立つ。俺がこの店を継ぐ。」

瞬間、父の拳が俺の頬を強く打った。

「痛え!…ちょっと待て!この話の流れで、なぜ俺が殴られるんだ!」

「俺がボサッと突っ立って、頼まれれば酒を出して、ロブやエドたちとくっちゃべって、それでお金がもらえる楽チンな仕事だと、そんな目で俺を、俺の仕事を見ていたのか?」

「親父に何かがあれば、いつかは俺がやることになる、誰にでも出来る簡単な仕事。そんなふうにでも考えていたか?」

「お前は、商売をするということを、人様からお金を頂くということを、舐めているだろう。エドもそいつを殴れ!」

父は一気に捲し立てた。普段、酒ばかり飲んで、二日酔いで仕事に臨むことも多々ある人間の言葉とは思えなかった。そして、そこまでこの仕事にプライドを持っているとは思いもしなかった。

「そんなことは……ないけど…」

正直にいえば、父の言うがままのことを考えていただけに、言葉の勢いは自ずと尻すぼみになった。

思い返せば、父と話す客はみな、楽しそうだった。父が作ってくれるまかないを、美味しくないと思ったことはなかった。薄暗い通りの中で、この店だけが穏やかな光を放っているように見えることもあった。

「2階」のこともある。父は、苛酷で無慈悲なこの世界に、心安らげる場所を、誰かのための確固たる居場所を、長い時間をかけて作り上げてきたのだ。

俺の性格で、俺の技量で、それが出来るだろうか。この仕事を、誰にでもできるような簡単な仕事に見せていたのは、父の人格と腕によるものだった。

よくよく考えてみれば、たかだか16の小僧に、大人相手の酒場の主が務まるはずもない。俺は言いようもなく恥ずかしくなってきた。「少し頭を冷やしてくる。」といい、自分の部屋に戻ることにした。
「酒が飲めなくなるしな。」という父の言葉が、聞こえたような聞こえなかったような、だった。

          *

実際問題、どうしたものか。俺に務まらないからといって、今の父が長くこの店を続けていくこともまた不可能だ。いつも助けてくれるエドだって、本来の司祭としての仕事がある。来月には再び、このテンブリッジを離れることになる。
ロブから仕事を斡旋してもらうにしても、親子二人が困らずに食べて行けるほど、安定的な稼ぎになるかどうかは怪しい。

 店の仕事は、何が何でもやりたいというわけではない。しかしながら、父と、父を愛する者たちが大事に守り続けてきたこの店を、俺が生まれ育ったこの店を、こんな形では潰せない。
父がその眼で最期に見るものが、この店の命の終わりの瞬間になるだなんてことは、そんな悲しいことだけは、絶対にあってはならない。
せめて父の目が見えるうちだけでも、この店は守らなければいけないのだ。

貧しいなぁ、という言葉が、ふと口をつく。経済的な意味ではない。むろん、裕福ではないが。
貧しいのは、選択肢の数だ。子供の俺が酒場を継いで先細るか、何もせずに親子二人飢えて死ぬか、極論、その二つしか道はない。
一方で、シャチの奴はどうだ。親子ともども働きもせず、それでもお金に困ることはなく、欲しいと思ったものは欲しいと言えば手に入り、持たざる者がいればバカにする。他の貴族たちだって、女王だって、みんな似たようなもんだ。
どうしてこんな世の中であることが許されているのか。俺はだんだんと腹が立ってきた。

「ウィル!…いるよね?」

ヨナギの声が聞こえてきた。いつもより遠慮がちで、いつもより切迫したその声から、父の状況を理解していることが窺えた。

現実が、俺の対応可能なキャパシティを超えている。正直にいえば、一人で考える時間が欲しい。断るか、少し待ってもらうか。ヨナギの問いかけに対する回答に逡巡する。ヨナギと会うことにここまで前向きになれないのは、これが始めてのことだった。

「ウィル…そっち行くから!」

おいおい、と思った。心の準備が、頭の整理が、まだ何も出来ていない。これなら「今日は悪いけど。」とでも言っておくべきであった。何を話せばいい、何を話して何がどうになる。

トントンと、階段を駆け上がってくる音が聞こえてくる。俺はヨナギの優しき善意の残酷さに、困り果てていた。
その時は、そう思っていた。

(つづく)

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