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【1次創作】名馬伝

ソルスティスが、また勝った。
史上初のG1競走7連勝。その途中で海外のG1レースも制し、いつしか世界最強と呼ばれるようになった。

特にこの4歳秋の走りは圧倒的だった。天覧競馬となった秋の天皇賞では永久不滅ともいえるレースレコードを叩き出し、今回のジャパンカップでは、1歳下の無敗の3冠馬ラクエンを相手に、影すら踏ませず千切り捨てた。
鞭を振るうどころか、持ったままで。まさしく無敵のパフォーマンスを披露した。
前人未到。
万夫不倒。

ついに世界最強は、史上最強と呼ばれ始めた。

          *

ソルスティスは、悩んでいた。というか、うんざりしていた。このジャパンカップをもって、競走馬としての生活を終えるつもりでいた。

己が誇りを掛けて、自身が史上最強のサラブレッドであること、現代競馬の強さの到達点にあることを証明したと思っていた。

おれが競馬を完成させた。

もう、戦って倒すべき相手などいない。強いとされる相手は、全てねじ伏せた。
もう、勝負付けは済んだ。

それでも。

「有馬記念からは逃げるの?」
「クラシックも勝っていないのに、史上最強とか(笑)」

そんな声が聞こえてくる。

今や伝説となっている過去の名馬たちと戦うことはできない。子供の頃にとりこぼしたレースをやり直すことはできない。
しかし今なら、相手が歴史上の誰であれ、ターフの上で蹂躙してやる自信があった。

「有馬記念を当たり前に勝って、弱いやつをまた叩き潰して、それが何になる。おれこそが史上最強であると、どうして誰もが納得しない。」

すべての競馬ファンが、おれを史上最強だと称えるべきだ。
その渇きは勝ち続けてなお、満たされることはない。

           *

「やあ、チャンピオン。冴えない顔をしているね。さすがに疲れたのかい?」

リデュースが話しかけてきた。ソルスティスは子供の頃に一度、このリデュースに負けている。その舞台が、日本ダービーだった。そんな縁もあり、このリデュースをソルスティスのライバルと視る者もいたが、この秋の2度の再戦で、2頭の圧倒的な力の差が明らかになった。

ただ、ソルスティス自身はこのリデュースの力を認めている。だからこそこうして、近い距離感で話しかけてくることを許している。

「デュースか。おれは強いよな。」

「うん。そうだね。君は強いよ。昨日もあの強気なラクエンが、呆然としていたよ。負けたの、初めてなんだってね。あんまり可愛そうだったから、なぐさめてあげたよ。」

「あれはあれで大したものだが、おれには勝てんよ。」

ひとつ下の世代の最強馬と目されていた怪物ラクエンに、初めての敗北を刻みつけた。仮にラクエンが今後どれだけ強くなろうが、ソルスティスより強いという評価をすることは許されないほどの力の差を見せつけた。

「…なあ、おれは、史上最強のサラブレッドになれたよな。」

ソルスティスは躊躇いながら、リデュースに尋ねた。とはいえ仮にリデュースがそうだと認めても、史上最強となれるわけではない。だが、聞かずにはいられなかった。

「…それは、どうだろうね。あっ、僕のお父さん、一度だけ史上最強と呼ばれている馬を倒したことがあるみたいだよ。君が史上最強なら、君を一度倒してる僕もお父さんと一緒だね。」

リデュースは、うんうんと頷きながら話を続ける。

「なりなよ、史上最強。君には、その力があると思うよ。」

なりなよ、と言われ、ソルスティスは競走馬として唯一無二の領域に至ってなお、まだ自分が史上最強でないことを理解した。

           *

その晩、ソルスティスは寝床に転がりながら、リデュースとの会話を思い出していた。リデュースにああ言われたものの、ソルスティスにはその方法がわからなかった。

奴の父親が倒した史上最強は、世界最高峰と言われるフランスのレースに挑み、破れた。かつての伝説の最強馬たちが挑み、ことごとく跳ね返され続けた、最後に残る高い壁。これに勝てば、確かにおれは疑いの余地もなく史上最強と呼ばれるかもしれない。

しかしその後、おれの後輩たちが次々にこのレース勝っていったらどうだ。おれへの評価はせいぜい初めて日本で勝った馬という程度で、さしたる価値もなくなるのではないか。

G1の勝利数も、レースレコードも、獲得賞金もみな、同じことだ。覆されれば、意味がない。史上最強となるということは、そういう数字の積み重ねではない。

どうすればおれは史上最強になれるのか。

半眠半起のソルスティスは、何かに導かれるようふらりと歩き出し、行方不明となった。周囲は騒然となったが、1週間ほどで無事に帰ってきた。その間に何があったかは、語られることはなかった。

          *

「なあ、ソルスティスのやつ、変なんだよ。」
「ああ。おかしなこと言い出したな。行方不明になってる間に、どっかこじらせたんかね。」

一時代を築いた逃げ馬・ベルトコレクターとリデュースの前年のダービー馬・グランレイが、そんな会話を交わしていた。

ジャパンカップから2週間近くが経った競走馬界隈では、ソルスティスの変貌の話題で持ち切りになった。年末に控えた有馬記念への出走に関し、出るとも出ないとも言わない中で、ソルスティスは走るのを止めた。

「やあ、ソルスティス。最近、いろいろな噂を聞くんだけど。どうしたのさ。」
直立不動、無言で佇むソルスティスに、リデュースが問いかけた。

「デュース。競走の真髄は、競わぬことだ。」
「えっ。ちょっと何言ってるかわからない。」

「走っているうちは、競っているうちは、究極、つまり史上最強には達し得ないのだ。おれは、それに気づいた。」

「走っているうちは、どれだけ強かろうと、まだまだ競わなければいけないレベルなのだ。」

「うーん。結局それは引退するってことなのかな。」
およそ理解が及ばぬリデュースは、疑問をそのまま口にする。

「断じて否。走る必要がなければ、走る必要もないということだ。」
ソルスティスは、自信満々にそう答えた。

「なんだよその謎の構文は。もっと意味がわからないや。僕はちょっと走ってくるよ。じゃあね。」
半ば呆れたリデュースは、その場を後にしようとする。

「待て。お前は中島敦の「名人伝」を読んだことはあるか。」
「あー。弓の名手が、弓を打たないことで奥伝に達したかのように振る舞ったと思えば、いつの間にか弓の存在まで忘れちゃってて、周りがびっくりするやつだっけ。」

「オチはともかくだ。俺は走ることを止めることで、走ることの真髄に達したのだ。」

「…それはやっぱり、引退して伝説になるってこと?まあ、時代の違う名馬とは、勝負できないからね。」

「違うと言っているだろう。お前ならわかると思っていたが、ガッカリだ。」

まるで意図を承知しかねる演説を披露された挙げ句、勝手に失望までされたリデュースは当惑を極めた。

「まあ、いい。どういうことかは、そのうちわかる。」

リデュースは言葉を継げなかった。
瞬間、ソルスティスは遥か彼方まで駆けていた。時間すらをも置き去りにするかのようなスピードで。目で追える者など、いようはずもなかった。さらにギアを上げたとき、走破音は遅れてやってきた。

気がつけば、ソルスティスのあまりの不気味さに、その凄みに、声を挙げるものすらいなくなっていた。

           *

有馬記念の出走エントリーは、ソルスティス1頭だった。ソルスティスはついに、誰も競走を挑まぬほどの高みに達したのだった。

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