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聖婚・アンドロジナス


メルマガの続編、というか本編です。最近は部屋の大掃除と断捨離のせいか、やってくる情報量がハンパなく、どしたらいいのやら。では、気を取り直して。

タオでは最初に道(無極)があり、1が生まれて、2(極)になって、そこから3(森羅万象)生じる、といいます。2極、2つの異なるものというのは、例えば太陽と月、大地と空、男と女、善と悪、そこから《3》すべての森羅万象や命が立ち現れる、ということです。

では《1》とは、なんでしょうか。男と女になる前のもの。そうです。男と女の2極に分かれていない状態、両性具有・アンドロジナスです。

世界中の神々は最初、男女が一つの身体の中にあり、つねに性的至福のエクスタシーを感じているので、精神的にも何一つ欠けたところがなかったのです。

肉体を脱いだ後の世界では、原初に回帰する、一つになる、ユニティ、とか聞いたことがありますよね?それは世界中で太古からある普遍的な信仰です。原初に回帰したら、そこではもう2極は存在しない、ということは、男も女も、

あらゆる区別を超越している、ということです。生まれる前に、男か女かを決めてくる、ということもあるでしょ?前世では女だった時も、男だったこともあるわけで、その経験は魂のうちにはちゃんと刻まれているはずなんです。

そして、最新の科学も、太古の宗教も、一致している見解は人間は生まれながらに完全に一方の性に片寄ることはない、ということなんです。

アフリカのバンパラ族は「各人間がその肉体と精神的原理において、男性と女性を兼ねるのが創造の基本法則である」と言い、

ヒンズー教でも、シヴァとシャクティの融合とは、統一の最終的形態でありヨギのめざすものであり、霊的成長の最終段階だといいます。シヴァは神の原理であり、シャクティはその神の「力」なのです。それが結婚の秘儀「聖婚」で、魂は男性性と女性性を統合したい、という深い深い憧憬を抱いています。だから私たちは、魂の片割れを求めて、結婚を求めます。

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ギリシャ神話のヘルメス神は、魔術、文学、医学、オカルトの知恵を司る神として知られていて、愛の女神アフロディーテと結合して一体を形成する両性具有神です。ローマではメルクリウス、エジプトではトート神と呼ばれています。アンドロジナスであるヘルメス神は「秘儀を極めたもの」と呼ばれ悟りを得た者、「仏陀」でもありました。

(世界の神話をたどって行くと、やはり一つの概念に行き当たります。これが私的にほんとに面白いことです!)

アフロディーテは「生命の女王」であり、シャクティです。ヘルメースは「死の王」シヴァで、生と死が一対をなして、一つの身体の中で統合されて、男性的なもの、女性的なものの両方を兼ね備えた、完璧な姿だということです。イザナミ、イザナギも、もとは一つだった(混沌の卵の中で混ざり合っていた)とも言われており、一つものが二つに分かれて、様々なものを産んだのです。

オルペウス教の創生神話では、エロースは両性具有の性愛の神で、その半神がプシュケー(霊魂)でした。エロースはシヴァ神であり、プシュケーがシャクティです。エロースは、すべての神に畏れられた存在で、誰一人として抗うことのできない力強い命、性と愛の根源的な神なのです。

私はよくタイに行くじゃないですか。タイではみなさんもご存知のように、レディボーイ天国です。性転換者もいれば、男性が女装して普通にそのへんのカフェやホテル、マッサージスクールなどで先生としても働いています。私のオイルマッサージの先生はもともと男性だったんだって、後から知りましたw 日本とは全然違う!

でも、なんでタイはこんなに性転換が許容されるのか、いろんな人に聞いて回りましたがどれもごもっともに聞こえるんだけど、いまひとつ納得がいきませんでした。ある日、山岳系少数民族のお寺に連れて行ってもらって、「はっっっっっっ!!!」と気づいたんですが、タイ仏教は原始仏教とか、上座仏教とか呼ばれる古いものですが、その仏陀の像がね、みんな胸がふっくら出ていたんです。

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なんでだろーーー!!!???と思いましたが、ブッダ=ヘルメス、そして男女両方の智慧と力を持つ、完成された人間の最終形態として描かれているのかもしれない!タイの人たちは熱心な仏教徒ですが、ずっっっと長い間、そのお姿を見てきたわけで、性別に対する偏った思い込みが、とても薄いのかもと思うと、私的には納得がいきます。

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インドではヒジュラという両性具有の民がいて、子供が生まれると祝福しにやってきます。ヒジュラに遭遇したこともあるんですよ!(自慢w)

最近とくに男性、女性の性が曖昧になってきているのは、神のもとに還りたい、神と一つになりたい、という霊的な最終段階を無意識に求めているからなのかもしれないなと思います。もしかしたら、世界の進化はけっこう近いのかもしれません。

女神の集いでは、よく参加者の方が「私には女性性が足りてない」と嘆きますが世のおしとやかで甘くて優しい、ステレオタイプの女性性に疑問を呈する私としてはどっちでもいいから、霊的成長を目指そうぜ、と言いたいわけで男女のどちらかに偏った性とは、結局、発達段階にある私たちの発展途上の姿で、最終的にあるのは「聖なる結婚」の末の統合された姿なのだということなんです。

だから本当の結婚は、まず内側で達成されてこそですよね。そんなわけで今日も私たちは外側のドラマを繰り広げているってわけですがw

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