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38歳のセブ島1週間英語留学日誌

12月17日(日)〜12月23日(土)までフィリピンのセブ島に1週間の英語留学に行ってきた。
特段自分を探しに行ったわけでもなく、私は2022年の12月18日をもって2008年4月から勤めていたテレビ朝日を退職して、Amazon Studios(Amazonプライムで配信されるオリジナルバラエティを制作する会社)に転職したことによって、私以外の社員は全員が流暢な英語の使い手という環境となり、必要に迫られたことで留学を決めた。

自分がお世話になったのはセブの空港から車で30分ほどのところにあるCIAアカデミーという学校だ。

リゾートホテルかのようなインスタ映え間違いなしのプールつき

1週間留学するには当然、有給を使用して休暇を取るしかない。
しかしこれは休暇では無く、留学だ。
Amazonの同僚にも「せっかくの休みなんだから休みなよ」とんちみたいな心配をされる始末。
というわけで、「せっかくの休暇中の留学なんだから、気分だけでもリゾート気分になる学校にしてください」とエージェント会社に相談して、リゾートホテルライクなCIAに決めた。

朝食・昼食・夕食完備の食堂
マンツーマン授業部屋 恐ろしく椅子が硬い

しかし、そもそも語学留学で1週間という最短のタームを選ぶ人はほとんどいない。短すぎるからだ。
大体の学生が最短でも1ヶ月、最長だと半年くらい。
そして年齢層もほぼ全ての人が自分より10歳以上若いアジアの若者たち。

「写真撮りましょうよ!」と言ってくれた14歳下の大学生

しまいには18歳の高校3年生が現れて、「芦田さん、僕のお母さんが40歳なんでほぼ同じ歳っすね」と爽やかな笑顔で言われる始末。
彼らにはそれぞれの夢や目的がある。
仕事を辞めて第2のキャリア形成のために来る者、自分探しに来る者…
そんな中で38歳の元テレビP ・Dは完全に浮いた存在ではあったが、間違いなく言えることは、東京で毎日働いているだけでは得られない刺激と出会い、そして小ネタ小話(以下、ストーリーにメモしておいた小話)を得ることができたということだ。

さらに最終日前日は嘘みたいなことが起きた。

突然、事務局みたいなところで手続きをしていたら「Are you Japanese?」と女性に話しかけられたので、振り向くとどうみても日本人ぽい。
どうしたんですかと聞いてみると、「私の友達が芦田さんに感謝を伝えたいって言ってて!ずっと探してたんです!」と論理的飛躍がエグすぎて、どんな背景をも想像しようがない導入トークをお見舞いされる。

芦田「え、友達が?えっと…(あなた知り合いではないですよね?)」
女性「あの、私の友達が関ジャニのファンで、「仕分け」を好きで…!」

※「関ジャニの仕分け∞」は2011〜2015年までテレビ朝日で放送されていた関ジャニ∞MCの番組で、私はここでチーフADを経てディレクターデビューを果たし、番組の末期にはチーフDになることができた思い入れの深い番組である。

と、この導入だけでは論理的飛躍を回収しきれていないのでまとめると…

・「仕分け」が好きだった友人の女性は芦田のSNSをフォロー
・彼女は芦田のSNSを見て芦田がCIAに留学中であることを知る
・自分の友人がCIAに芦田と同じタイミングで留学していることに気づく
・彼女は「芦田さんに感謝を伝えてほしい!」と友人に頼む
・完全に他人の芦田を約500名の留学生の中から探し出すことに成功
・事務局でギリギリ芦田の顔と名前を一致させ、話しかけて本人確認成功
・記念写真撮影
・友人宛の謎の芦田からのビデオメッセージ撮影

関ジャニファンの裾野の広さと、国境と時空さえをも越える引きの強さに何以下不思議な興奮と感動があった。
この仕事をしていて良かったと思えた瞬間でもあった。

とまあ、刺激的で充実した1週間であったのだが、
さて肝心の英語学習の方である。

1日中びっしりの時間割 もはや追い込まれた受験生

38歳にして1週間(実質5日)のセブ島留学。
結論から言うと1週間は留学には短すぎる。

が、

「強制的に1日中英語を使う環境に身を置く」
「現状の自分の英語力の足りない要素を知る」
「自分より英語力が低い人との会話はめちゃくちゃムズい(今まで英語の先生やAmazonの同僚など自分より上の人としか話したことがなかった)」
「十人十色の多国籍留学生との交流による刺激」
「インスタで連絡先交換という高校生的ノリの常態化」
「バラエティ番組のP・Dという仕事の国際的引きの強さ」
「"あざとくて"の日本人若者への認知度の高さ」
「見た目イマイチな小さいバナナは美味い」

あまりにも小さいバナナ

これらのことは学べたので、プラマイゼロってことはなく、プラスだ。

Amazonの同僚たちは本当にみんな英語が上手くて、「サポートするからしゃべれなくても大丈夫(=「あなたに期待しているのは企画力やバラエティ制作の経験値である」これはこれでプレッシャーなんだけど)」と常に優しくて、実際にこれまでに無かった日本語の企画書やプレゼンも余裕で聞き入れてくれているおかげでようやく形になりそうな企画も出てきて、充実した転職1年目を送れている。

けどやっぱり会議で先輩たちに通訳してもらうのは何か憚られるし、瞬間的に思いついたアイディアや、日本語なら絶対に論破説得できる自信がある質問に対しても「英語だと…」と脳内変換したり、躊躇しているうちに話題が変わってしまう悔しさを積み重ねていて、今回の留学を決めた。
(もちろん日本でも英会話スクール通ってるけど)

やっぱり自分が思いついて、各局のトップクリエイターと煮詰めた企画の面白さは通訳を通してではなく、自分の言葉で全部説明したい。日本語がわからない国の人たちにも、「こんなにも面白いことを考えられる人が日本にはいるんだ」ということを自分の言葉で自分の力で伝えたい。
でも今の英語力では到底無理。
このストレスは結構デカい。

ただ正直、3年やっても同僚たちの英語力に追いつける自分が全く想像できないんだけど、我らが桜井和寿も「高ければ高い壁の方がのぼった時気持ちいいもんな」と歌っているように、自分が得られていない能力と向き合うことは何歳になっても刺激的だなと思うし、好きなことばっかり14年間やってきたツケが回ってきたのかなとも思う。(いや、そもそも中学〜大学までという10年間を割いたにもかかわらずしゃべれない私というか、日本の英語教育とは!?という憤りにも逃げたくなる)

しかし実はこの問題の根源は、自分が人生で一番悩んだ就活に遡ることができてしまうことに気がついてしまった。

これは、今から15年前に3社の内定を辞退し、一度は辞退したテレビ朝日に入社を決めるまでの過程の全てを記録したブログである。

当時、4社の中でテレビ朝日に入社をすることを決めた際に親父は、「危うい選択だ」と苦笑いしながら言い放った。
なぜテレビ朝日に入社することが危ういのか?
少し長いが、当時のブログをそのまま引用する。
(あくまでも2008年時点での就活論なので悪しからず)

「危うい選択」とは何だろう?
その答えを探すなかで、現在の大学生(特に文系)にとっての就職活動のあり方が見えてきた。
何度も書いたが、僕ら文系の学生には専門学生や理系学生にはある
「就職への自信と展望に関わる日々の勉強」がない。
そしてそれと同時に学生を採用する側の企業も学生にそれを求めていない。
その証拠に、大手中の大手である電通、三井物産などの選考において、僕は大学における成績を一切聞かれなかった。その他の企業でも同様である。
つまり企業(技術者採用以外)は学生に「勉強」や「成績」を求めてない。では何を求めているのかというと、サークルやバイトやらで培った人間関係や経験、つまり「人間性」だ。
(中略)
僕は内定をもらうことが出来た4社にどこを評価されているのか?
その答えは決して、「勉強」や「成績」ではない。
では何かというと、僕が21年間で培ってきた対人関係やコミュニケーション能力だ。それは決して大学の4年間のみで形成されたものではなく、芦田太郎という一人の人間が歩んできた人生全てをぶつけ、評価されているに過ぎない。
(中略)
だが、このコミュニケーションスキルというものは、僕が今まで生きてきた人生において形成された能力であり、22歳になった今、そのスキルは成長要素というよりむしろ、完成品といっては言い過ぎかもしれないが、入社してから伸ばしていく能力ではなく(もちろん伸びないことは決して無い要素ではあるが)、むしろ現状(0歳から大学4年生)までに様々な経験から成長させてきたスキルなのだ。その22年間育ててきたスキルを面接において最大限に発揮し、そして入社後も発揮できると面接官は判断し、僕は採用された。
これは喜ばしい限りだが、成長要素として弱い気がしてならなかった。
(中略)
だからこそ自分の人生で培ってきたスキル(=コミュニケーション能力)以外で自分が勝負できる飛び道具(=ビジネススキル)を身に着けるべきなのではないかと考え、ぎりぎりまで三井物産に行くつもりだった。
だが結局僕は「危うい選択」をした。
ミュージックステーションを見学し、これまでに無いほど心と体が奮い立ち、「俺はテレビが好きだ。この世界で働きたい。」という確信を得て、「危うい選択」をした。
背伸びをしてビジネススキル!と叫んだところで、そんなやわなモチベーションでは先が見えない。それよりも「大好きなこと」を仕事にして、「大好きなこと」でとりあえず勝負してみようじゃないか。そんな大いに「危うい選択」をした。
(中略)
「危うい選択」を「危うい」ままでは終らせない。
そのためにはどうすれば良いか、思考し続ける。その思考のヒントになるかもしれないメッセージを父親は最後に残している。
「さて、私の息子は、そんなひたすら〈現在〉へと消耗する仕事を選んだ。ドメスティックで、ヒューマンな現在に、だ。
どこかでもう一幕、人生を切り開かなくてはならないような気がする。」
そのもう一幕は、いったいいつどこで訪れるのだろう。

2008.2.20 芦田太郎のブログ「危うい選択(vol.16)」

お分かりだろうか。
”そのもう一幕”は2023年に訪れてしまったのだ。
親父の言う通りに。

「芦田太郎という人間性以外の武器=スキル」を得るべきではないのか?
という問いに悩まされ、最後まで三井物産に行くか悩んだ大学3年生の芦田太郎は海外駐在の基準点となっていた(当時)730点以上を目指してTOEICの参考書を買って勉強を始めていたのだが、それでも結局「好き」を仕事にすることを選び、テレビ朝日に就職した。で、14年バラエティ番組を作り続けた。ここに後悔は全くない。1秒も後悔したことはなかったと自信を持って言える。

で、その後悔のない14年の実績のおかげでAmazonから声がかかり、”もう一幕”人生を切り開いてみることを選ぶことができた末に、38歳にして大学生当時から危機感を覚えていた”人間性以外の武器”の一つである英語力を手に入れるために、受験生並みに勉強する人生に突入している。
人生何が起きるかわからないが、それも悪くない。あまりにも親父の予言が的中して、少し気持ち悪さはあるが。

と、意気揚々と書き進めてきたが、気がつくとなんだか凡庸で自己陶酔型の人生啓発本のような締めに突入してしまいそうだ。
これはそもそも1週間の留学体験記を記録として残しておこうという目的のもと書き始めたnoteだ。

1週間でも卒業証書はもらえる

なので最後に一つ、留学最終日のエピソードを。

とある1on1最後の授業で25歳の男性フィリピン人の先生に「太郎、日本でTVディレクターとして素晴らしい経験を積んだあなたに聞きたい。僕の人生
に一つアドバイスするとしたら何かな?」と少年のような目で聞かれた。

いやいや、俺はただの会社員だから、あなたにアドバイスするような価値のある人間ではないよ。と返したんだけど、「ここで講師をやっているけどディレクターと会えたの初めてで、とても貴重な機会と経験なんだよ!だからそんな謙遜せず、心からあなたに教えてほしいんだよ!」と再びピュアな目で聞かれたので僭越ながら答えることにした。

「私は現状に不満や不安が一つでもあるなら、それを嘆いたり愚痴るのではなく、解決するために何か行動を起こすことを心掛けている。もしあなたの今の状況に不満や不安があるなら、何かそれを解決するためにどんな些細なことでもいいから行動してみたらどうだろうか。」と言ったら、神と対面したかの如く握手を求められたので、「人を啓発することを仕事にし始めると自分の啓発は止まる」と言い聞かせながら握手をして最後の授業を終えた。

次は2週間行きたいな。


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