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「いいね」ができないインターネット老人だった話

「いいねのこといまだに『ふぁぼ』って言ってる」、って言ってる人すらめっきり見かけなくなった昨今いかがお過ごしでしょうか。

このnoteにも「スキ」という機能がありますが、今のインターネットには大体ワンボタンで好意を示せる機能が搭載されています。スト6のモダン操作みたいなもんですね。昔は掲示板に感想コメントを書き込んだりメールを送らなければ気持ちは伝えられんもんじゃった……(インターネットクラシックおじ)。

クラおじ的に言うと、ネットと吉野家は殺伐としていてなんぼというか、現実世界と違って気を遣ったコミュニケーションをしなくていいのがラクでいいと思っていました。まだインターネットは匿名でやるのが前提だった時代の話です。伝達に手間がかかるからこそ、たまに届く「いいね」「ワロタ」みたいな一言でめちゃくちゃに嬉しくなれました。

時は流れ、今やみんながネームドでSNSをやる時代になりました。そうすると「いいね」のやりとりがコミュニケーションのひとつになり、よせばいいのに「いいねの数」で承認欲求を満たそうとする人も出てきます。もちろんみんながみんなそうではないんですが、一度そんな感じになると根っからの天邪鬼が発動、「俺はどんなによくても『いいね』は押さん……」とめんどくさいサイヤ人の王子みたいになって謎の仁王立ちを始めるのが私です。

そんな自分が最近は「いいね」をちょこちょこ押すようになりました。

理由は2つほどあります。1つはでっかい病気をして、人の優しさをしみじみありがたいと感じたこと。病室のベッドで約4カ月、毎日のように「助けてくれてありがとう」「生きてるうちにあの人にもありがとうと言えばよかった」ということを思っており、伝えられるときに自分の気持ちを伝えることの大切さを体で理解しました。膵臓と一緒に僕の心の氷も溶けたわけです。

もう1つは、こういうnoteだったりYouTubeやなんかの配信だったりを酒飲んだノリみたいな逃げでなく、ある程度向き合ったものとしてやり始めると、ちょっとした反応がだいぶ助けになるんだとわかったというのがあります。「こんなんでいいのかな…」とかやっぱり不安になるので。

自分も普段なんかの記事とか動画とかを「面白いなあ」と思って見てても一切そういうコメントしないんですが、そういう人たちも色々葛藤しながら作ったりやったりしてるのかなあと思ったら、ボタン1つ押すくらいの好意は伝えたほうがいいなと思うようになりました。コメントするのとかはまだハードルが高いのでどうしてもというときは修行僧さんのやつみたいに記事で書きます(跳べるハードルの基準が壊れてる人)。

自分に対していただけるリプとかコメントとかに関しても、渾身の感謝をこめて「いいね」しています。まだまだ慣れてないので普通に忘れちゃったりすることも多いんですが。いつもありがとうございます。よかったらチャンネル登録と高評価と膵臓のドナー登録よろしくお願いします。

でも本質的にはそういうの気にしないインターネットのほうがやっぱり快適だという思いもあります。いいね数だけじゃなく、目先の数字に流されるとコンテンツも易きに流れて陳腐化してしまうのはあらゆるメディアの常なので。可視化されていないほうがはるかに多い「面白いな」「クソつまらんな」「どうでもいいな」の感情が常に背景にあることを自覚し、ブレずに続ける意思を持ち、その上で「いいね」を支えにして自分も誰かの小さな支えになる「いいね」ができるようになりたいなと思っています。最近は。

そういう意味で匿名のマシュマロとかはちょうどいい塩梅だなと思います。このnoteではメンバーシップ特典的な意味合いをつけているので主に有料部分でお返事をしていますが、お返事不要のものも含めて気軽になんでも送ってください。質問やリクエストの類もネタになるので助かります。というわけで以下、お返事です。


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