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一人暮らしクロニクル その7

 1989年、平成元年当時の横浜税関には4箇所の独身寮があり、採用一年目は全員横須賀市の久里浜寮でしたが、採用二年目の12月を迎えた時には、それぞれ「もみじ坂」、「港南台」、「西戸部」の独身寮に転居しました。土地勘が無い方もいらっしゃると思いますが、「港南台」以外は、横浜の大都会です。最寄り駅が「桜木町」でして、今の「みなとみらい21」から徒歩圏内の立地でした。

 しかし、当時は再開発前でしたので、港湾跡地を急ピッチで開発しているような時で、華やかさには欠けていました。「横浜〇〇博覧会」の整備をしている時で、ランドマークタワービルは建設中でした。
 ちなみに、勤務先は「横浜市中区海岸通り1ー1」という、「港ヨコハマ」を象徴するような場所でして、赤レンガ倉庫、県庁、大さん橋ふ頭、山下公園も近い場所でした。中華街も近かったです。

 という華やかな場所で働くとは言え、仕事をして、酒を飲んで、夜間大学に通い、週末は寮で麻雀かスーパーファミコンという日々で、夕方とか朝に寮の周囲をジョギングしたりもしていましたので、地味な生活でした。

 当時は勤務先周辺で「あぶない刑事」というドラマのロケを行っていることもあり、ランチで利用している店が
「あれ、外観が変わった?、店が変わったのかしら」
なんて考えながら、通り過ぎようとしたら、柴田恭平さんが中から現れて「吃驚!」なんてことや、「鈴木京香さんがいたよー」なんて話も聞こえてきたりしました。

 相変わらずの貧乏生活ではありましたが、ちょっと生活に余裕が出て「飲む、打つ」を味わい、学業には支障が出ることもありましたし、「泊勤務」があり大学に行けない日もありましたので「出席」をとる授業では出席日数が足りず単位を落としたりしながらも、何とか仕事と学業を続けていました。

 勤務先の社食で「伝票」でご飯を食べて、現金出費を抑えたり、近くの牛丼屋さんで、お肉を補充したりしていました。
 思春期ですので、周囲では「浮いた話」なんかもチラホラありましたが、漠然と「大学を卒業したら地元に戻りたい」と考えるようにもなり、異性関係については意識して「深くならないよう」にしていました。
 はい、本人の名誉のために申し上げますが、決して「モテない」ということではなく「我慢していた」時期となります。
 なお、この時の心境が約30年の時を経て「恋する旅人」の主人公である「木元」が「異性を避けようとする」描写に繋がるのですから、面白いものです。こちらの本です。

 この物語の主人公「木元」は、大学卒業後に東日本大震災の時期も重なり、地元に帰ろうと思いつつ、揺れ動いたりもしますが、この辺りは、若き「福島太郎」も少し重なります。

 この「一人暮らしクロニクル」シリーズは、メディアパルさんの企画に参加しています。

 オッサンの昔話に需要があるのか疑問ですが、自分のことを振り返る機会をいただきましたこと、メディアパルさんに感謝です。

 横浜税関 西戸部寮は、高台にあるので通うのが大変で、古くて狭くて汚くて集団生活で、今にして思うと「牢獄?」みたいな感じもしますが、「夢」とか「希望」とかもあり、部屋からは「富士山」が見えるなど、それなりに輝かしい時代であったような気もします。数年前に「廃止」が決まると聞き、写真を撮りに行きました。もう、建物も無いかもしれません。

西戸部寮 裏側(東側 坂下から)


西戸部寮 西側(正面)から

 この4階 左端が私が3年間住んだ部屋でした。
 4畳半、トイレ・風呂・台所共同・夕方の景色はオレンジの富士山。

 もう、この地を訪ずれることは無いと思いますが、私の青春のようなものは、この空間に存在していたと思いたいです。
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 なお、桜木町駅の近くに「野毛」という庶民向けの繁華街がありまして、私の夜の青春は、そこで過ごすことも多くありました。
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 私の著作の中で、ちょっと「青春」の香りがするのが、この2作品です。
 爽やかなお話です。

#ひとり暮らしのエピソード

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