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【再々掲・創作】日本初の卓上計算機

 言葉というものは、時に発言者の意図に関わらず、一人歩きして意味を変えてしまうことがあるのが恐ろしい。
 例えば、1956年度の経済白書冒頭に記載された「もはや戦後ではない」という言葉。経済産業省の担当者としては「戦後の復興需要が終わり、経済は停滞する見込みである」と、これからの経済活動に警鐘を鳴らしたにも関わらず、「戦後の苦しい時期は終わり、これからは明るい未来がある」という意味を象徴する言葉として世に広がったようである。高度成長期という光の前には、役人の懸念などは意味が無かった。
 そして、1955年から1970年まで続いた、この高度成長期という光のような時代においても、影となる人たちもいた。

 1963年2月14日木曜日の午後、石元は会社の事務室で林と二人きりになった偶然を嬉しく思いながら、事務を進めていた。林が立ち上がり、自分の方に近づいてきた時、ドキンと胸が鼓動を打った。
「これは、もしかしたら、バレンタインデイというやつか」
 数年前から、どこかのデパートで「バレンタインデイ」というチョコの販促キャンペーンを実施していることを、石元は知識として知っていた。が、チョコを貰ったことはない。
 チョコを渡されたら、どんな風に答えを返そうかとドギマギしながら、敢えて、林の方を見ないようにした。

 ボールペンを持つ手、脇の下に、大量の汗が滲み出ているのを感じた。首に力が入り、鼓動がさらに大きくなった。
「石元さん、ちょっとよろしいですか」
声をかけられ、想いとは別に、平然とした態度で顔を向け、話しを促す。
「大丈夫です。どうかしましたか」
期待に反して、林は手ぶらで立っていた。
「忙しいところすいません。実は来月一杯で退社することになりました。まだ、皆さんには話をしてないのですが、石本さんにはお世話になりましたので、先にお伝えします。これまで、ありがとうございました。残り1ケ月半、よろしくお願いします」
 静かに話しをすると、頭を下げた。
「退社って、寿ですか」
 当時は女性社員の退社と言えば、結婚退職が主であり、結婚や交際などセクシャルな言葉についての意識も現代とは異なるので、石元の言葉は常識の許容範囲である。
「婚約者どころか、お付き合いしている方もいません。ただのクビです。『算盤も使えない事務員は必要ない』と、課長から言われました。田舎にも帰れないので、これから再就職先を探します」
 予想外の言葉に呆然とする石元に、お辞儀をして林は背を向けた。その目が潤んでいることを石元は見逃さなかった。石元は机に叩きつけるようにボールペンを置き、林の背に声をかけた。
「開発室に行ってきます。時間がかかるかもしれませんので、課長にその旨を伝えておいてください」
答えを聞かずに、石元は部屋の外に出た。開発室に向かう途中で、心の声が漏れてしまい、すれ違う社員からは変な目で見られたが、気にしている余裕は無かった。
「林さんがクビ。そんなバカな話があるか。彼女がどれだけ皆の力になっているか。課長だって解っていると思ったのに。算盤が使えない、俺だって課長だって使えないじゃないか。そんなことでクビにするなんて。あの人は字も綺麗だし、応対も丁寧だし……」
(あの笑顔を失いたくない。鈴木が前に話していた新製品に賭けてみよう)
 そんな思いを秘めて、開発室のドアをノックした。

 2月18日月曜日の朝、石元は1台の台車を押しながら事務室に入ってきた。14日と同じスーツ、同じネクタイ、同じYシャツのように見えた。
 事務室に入った瞬間から、少し発酵したような獣臭が室内に漂ってきた。
 課長の塚原は叱責しようと立ち上がったが、落ち窪んだ目をした、幽鬼のような石元の姿に言葉を失った。石元は寄りかかるようにして、台車を押しながら塚原の側に進んだ。
「課長、これ開発室から借りてきた試作機で、キーボードを打つと、計算ができる機械です。海外では似たような製品があるようですが、これはトランジスタを使うことで、性能も上で、小型化にも成功しました。多分、日本では初めての製品です。これがあれば、算盤がなくても、算盤が使えなくても事務が捗る筈です。だから….はやし さん の….」
 卓上計算機を机に置いて安心したのか、ふと石元の意識が遠のき、全ての思いを塚原に伝えることはできなかった。が、塚原は想いをくみ取り、石元の身体を抱き抱えながら囁いた。
「林の退職理由は算盤だけじゃなく、人事の採用計画に基づくものだ。算盤という言葉が一人歩きしたようだが、退職は決定事項。残念だが、お前の頑張りには意味が無いんだ」
 石元の心が折れるとともに、体を支えることができなくなり、その場に崩れ落ちた。目の前が暗くなり、薄れていく意識の中で、
「辞めないで欲しい。一緒に居て欲しい」
と口にしたような気もしたが、目覚めた時には、不眠不休で過ごした、ここ数日の記憶が全て吹き飛んでいた。

 林のために急いで完成させた卓上計算機の試作機だったが、林が使うことはなく、予定どおり3月末日で退職した。

 翌年の3月 日本初の卓上計算機が早川電機から発売された。日本の産業界を大きく変える大ヒット製品となった。
 早川電機は、後にシャープと社名を変えた。
 林は、後に石元と苗字を変えた。

 林の再就職先は、永久就職となった。
 石元の頑張りは、石元の人生に、計算外の大きな意味をもたらした。

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