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修士論文を読み直す①――マックス・シェーラーとの出会い

このノートは僕にしか書けない。

現在の日本の片隅で、戦中のドイツの思想家であるマックス・シェーラーに約1世紀の時を超えて出会ったわけである。そのときはまだ学部生であった大学生がその後、修士課程まで研究を続け、修士論文というひとまずのゴールを書き上げた。こうして書き上げた論文は、僕が書き上げたもので、僕だけのものである。

書き上げてから約1年ほど経ち、変わりゆく日常に飲み込まれ、忘却の彼方に行ってしまう前に、一度振り返ってみたくなった。これから歩んでいく人生で、自身の足元から決して離れることにの無い、僕だけの影法師を。


はじめに

修士論文を書き上げる上で、とりわけ文系の思想系の修士論文で欠かせないものとなるであろうのは、「問題意識」とその問題意識に寄り添ってくれる「思想家」だと思う。

「問題意識」は自身が日常で持っている問いと言い換えることができる。問いを立てることには、特別な訓練はいらない。P4Cと言われる取り組みの中にもあるように、子どもでさえ持つことができるものである。強いて言うなら、問いが出てきたときに、その問いを持ち続けることができる、子どものような純真さは必要かと思われる。また、単に子どもとして問いを持ち続けることができるだけでは修士論文を書き上げるだけの「問題意識」にはなり得ず、その問いに挑み続けることができる探究心が必要となるだろう。
ただ僕は探究心が修士論文を書き上げるためのレベルに達していなかった。だから耐えた。忍耐力で探究心を補った。その為、修士論文を書き上げることは辛かった。その辛さを乗り越えたから得た物はたくさんあるが。

「思想家」の選定は、ある程度の知識が必要となる。現在の問いに応答するのであれば、現代の思想家の言葉を借りるのが良いかもしれない。しかし、昔の思想家が同じようなことを言っていたということも考えられる。ある程度の自身の知識が固まっている人は、昔の思想家を現代の問いに読み替えることも可能である。こうして、自身の友達であり、運命共同体である思想家を探す作業が必要となって来る。
また、自身がある程度読める言語もここで問題となって来る。僕はドイツ語を大学に入ってからある程度勉強していたので、ドイツの思想家に焦点を定めざるを得なかった。当たり前のことであるが、友達と仲良くなるには、友達と同じ言葉を使わなければならない。

こうして探した友達であり、運命共同体に選んだのが、僕にとっては、マックス・シェーラー(1874-1928年)であった。

問題意識

シェーラーに触れる前に、自身の問題意識を露呈させていく。

僕の問題意識として大きかったのは、人間の価値である。

我々は人間である。これはまごうことなき事実なように思われる。一方で、何が人間と人間でないものを区別するかの線引きは曖昧なものであろう。ネコ型のロボットであっても、どこか人間味を感じてしまう。この人間味という「人間っぽさ」の起源はどこにあるのか。

この問いには色々なアプローチが考えられる。進化や細胞から人間を捉えるようなバイオの視点や、見た目等から考える観相学のようなものも考えられる。これらはある一定の側面から、人間を捉え直すことで、人間を考え直すということである。その中で、僕の切り口となったのが、「価値」である。

人間は価値を持っている。人間中心主義は、人間に高い価値を置くからこそ、他を人間以下の価値を持つものとする考え方である。また、成果や年収という測定可能な価値で、人間の価値を測るといった視点も我々は持ち合わせている。特にこの点を強く感じたのは、自分がアルバイトをしているときである。時給のために、自身を削って、お客のために尽くす。この経験で、自身の価値を卑下されることの辛さややるせなさ、虚脱感が僕の問題意識の根底にあった。

マックス・シェーラーとは誰か

そうした問題意識を持つ青年が出会ったのが「マックス・シェーラー」という思想家である。ここであえて「哲学者」という職名みたいなものを使用しなかったのは、彼の思想の幅広さゆえである。

彼のテーマの発端は「カント倫理学」にある。カント(1724-1804年)が、『道徳形而上学の基礎づけ』(1785年)と『実践理性批判』(1788年)を基に広げたカント倫理学は、後世にとても大きな影響を与えた。その影響の煽りを学部生のときに、微かに受けたのが僕である。学部生のときに、僕は『道徳啓示儒学の基礎づけ』を読み、カント倫理学をかじった。だが、一方で、カント倫理学に影響を受けた方々の積み重ねの上に、さらに何かを積み重ねる自信が無かった。そこでカントからの逃避しつつ、同じようにカントの影響を受けた思想家を探していたら、たまたま図書館の棚に見かけたのが、シェーラー著作集であった。

彼は1874年にドイツのバイエルン州のミュンヘンで生まれる。家はユダヤ系であったが、14歳のときにカトリックへと改宗する。そして大学に入学し、新カント派の影響を受け、オイケンの下で教授資格論文を書き上げ、アカデミアの世界に足を踏み入れる。

そうしてアカデミアの世界に入った彼は、『倫理学における形式主義と実質的価値倫理学』(1913/1916年)にて「実質的価値倫理学」を、『人間における永遠なるもの』(1921年)にて「現象学的宗教学」の基礎を、『知識形態と社会』(1926年)にて「知識社会学」を、『宇宙における人間の地位』(1928年)にて「哲学的人間学」を提唱するなど、数々の輝かしい成果を残していたが、1928年に心臓発作で急逝する。

こんなに輝かしい功績を残している彼であるが、彼がカトリックであるにもかかわらず、3度の結婚をしており、思想の転換をしており、思想の一貫性が無いこと、またユダヤ人であったことから第二次世界大戦時に禁書になっていたこともあり、思想史では(特に現在の視点では)、あまりメジャーな哲学者として知られているわけではない。それゆえに、こんな平凡な僕でも、何かを上に積み上げることもできると思ったこともあり、彼を選んだ理由でもあった。それが後に勘違いであり、痛いしっぺ返しを食らうことになるのだが。

マックス・シェーラーの問題意識

シェーラーの思想のマイナーさに拍車をかけているのが、彼の思想の一貫性の無さである。かのカントは、三批判書を記すというライフワークとして「批判」をしており、思想の一貫性がある。そんな中でも、彼の思想を貫くキーワードがあった。それが「人間」である。彼は生涯をかけて、「人間とは何か」という問いに従事していた。

そしてその「人間とは何か」の問いに挑むために、彼が足掛かりとしていた概念が「人格」そして「価値」である。彼は人間を捉える上で、人間の価値の高さに着目し、その中心として人格を据えたと考えている。
(前・中期思想以降の思想との一貫性の点は色々な文献で言及されてはいるが)

カント倫理学の中で、人格は絶対的な価値を持っている概念とされる。「絶対的」とは「相対的」と対になる言葉である。このとき「相対的な価値」には、お金などの一定の尺度で測れる価値がこうした価値に数え入れられる。一方で、「絶対的な価値」は測り知ることができない価値であり、カントは人格をこの中に数え入れた。この「絶対的な価値」はカントによれば、「形式」にのみ与えられる。「形式」の反対は「実質」である。「実質」は言い換えれば「中身」である。こうした中身は常に変わりゆく。入れ物の価値は中に何が入っているかで決まるわけではない。入れ物の価値は入れ物自身で決まるというのがカントの議論である。

ただそうとは限らないであろう。
確かに、人間には絶対に犯し難い価値である、「絶対的な価値」を持つとは思う。一方で、人間は自身を卑下するといった相対的な側面も持ち合わせるように思える。ここに関わるのが、実質であり、実質的な価値であろう。こうした実質的な価値の側面から人間の価値を捉えていったのが、シェーラーである。

こうした2つの側面から、「人間とは何か」を考えていくのが、シェーラーの問題意識とそれに対するアプローチである。

小休止

ここに自身の修士論文の問題意識とシェーラーという思想家と問題意識を書いてみた。

僕自身の価値、人間が持つかけがえのない価値の源泉はどこにあるのか、こういった自己の中に広がる迷宮に一歩ずつ踏み込んでいったのが、僕の修士論文である。

そのはじまりをここに記したつもりである。

僕たちは倫理的な間違いを犯すと「人でなし」と人間であることが否定される。自己の価値を卑下される。そんなこと許されることではない。そして「人で無し」という言葉で、相手が人間であることを否定しているわけではない。

その②では、修士論文の内容により深く入っていこうと思う。

シェーラー研究の一助になれば幸いではあるが、公式のものでもなく、洗練された文章でもないため、シェーラーという思想家の理解の一助になれば幸いである。