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政治運動は自己肯定である。

「政治運動」の重要ポイントの2つ目。
政治運動は自己肯定である。

【演説を通じて自分を肯定する。】

「選挙の神様」、田中角栄の演説動画、最初の1分だけでも聞いてほしい。
どう感じるだろうか?

この動画を1分見てもらったとして。

~~
「働くところも出来てきた、お互いが月給も上がった」(1)
「(月給は)まだこれ以上上げられる」(2)
その上で
「しかし~月給があがるだけでは済まないんです」と聞き
「どういうこと?」と更に前のめりで次の言葉に注意がいく。

「人間というものは生きている間は短いんです。」(3)
「せめて、その短い、生きている間、
「今よりもよい生活環境を作って、人生を楽しみながら、
「この世に生まれた喜びを感じながら、」(4)
「親も子も孫も一緒に楽しい人生が送れるような社会を作ることが大事であります。…」(5) →→ この理想、誰しもが納得!

「テレビも出来ました。洗濯機も出来ました。車も買えるようになったかもしれません…」と続きます

これは
(1)目の前の現実を説明 → ”その通り!”と共感し
(2)皆が感じている希望を説明 → ”その通り!”と共感し
(3)普段考えてない視点・視座(人生は短い)を提示
 → ”なるほど”と納得し
(4)普段漠然と感じていることを説明 → ”その通り”と納得。
 つまり
【 共 感 と 納 得 の 嵐 】!!

そういう状況・共感を得た上で
ー聴衆が自分の言葉を受け入れてもらう準備が万端整ってー
「親も子も孫も一緒に楽しい人生が送れるような社会を作ることが大事…」と聞かされたら
その理想を誰も否定できない、納得ですよね。

共感や納得の連続。
「自分の経験や現実」「皆が感じている展望・社会の空気」「普段の自分の感覚」「自分の考え」「自分の価値観」を代弁してもらう。
代弁してもらうことで、それらすべてが承認される。
つまりは、自分が肯定される

【自己正当化・アイデンティティの確認】

演説などは複数の聴衆がいる。聞き手が複数人いる。

演説の現場は
【ここにいる皆(聴衆)が、同じ状況や考え、理想を共有しているんだ!】と実感する空間でもある。

そういう意味では、上記の演説のように「恵まれた経済成長最中に、自分たちが豊だ」というような自己肯定だけが政治じゃない。

「私たちは99%だ!民衆だ!」「給料上げろ!」「防衛費をあげろ!」「砂漠を守れ!」…なんでも、そういう自分の考えを共有している仲間がいることを実感できる空間、自分の考えを正当化することができる場所、という説明も出来ます。

普段、自分の考えは言葉にしていなくて、正しいかも分からないし、漠然と「自分は少数派だな」と感じる中で、「同じ主張を持つ仲間がいることが実感」できると、孤独感が和らぐ。
「自分の考えは間違っていなかったんだ!」と自分を正当化・肯定する機会にもなるっていうことです。

実際、銀座を「自衛隊派遣反対!」とデモ行進したり、国会前で「再稼働反対!」とデモでドラムに合わせて大声叫んだり、大阪の心斎橋付近のハイブランドのショップが立ち並ぶ中でビートをきかせたリズムにのってみんなで声上げたりするのって、屋外の解放感もあって…

「本当に純粋に気持ちがいい」んです~
 仕事、日常のストレス発散(笑)
 これ体験者なら分かるよね~

* 大人になって思いっきり声を出す、ってなかなかないです。
* リズムにのる、大声を出す、屋外を歩く…快感物質の分泌マジあり。

【一体感で孤独感を忘れられるひと時】

上記で書いてきた通りに
政治運動は、参加者に「自己肯定」、「自己正当化」、「アイデンティティの再確認」の機会となる。

そして
それが仲間と一緒、空間を共有することで
「一体感」「孤独感から逃れるひと時」
「共同体の再確認」
にもなる。

特に、抑圧されている側、被害者側、怒りがある側、少数者の側は
普段が辛い・ストレスがあるだけに
これらの心理的メリットは大きいものになる。

【抗議運動・反体制の運動の特徴】

最初の田中角栄の演説は、戦後の高度成長期・昭和の話で、「日本社会が経済成長する」「急激に豊かになる日本人」「明るい希望に溢れた日本」という大きな物語を大多数の国民が共有していた時期。

時代論でいえば大衆社会「マス・マーケットがあった」時期です。
そういう時代は「豊かさを享受する私たち」の再確認なので、そのプロセスは何のストレスもない(JUST快適)ですよね~

与党系の現場のベースにはこういうものがあると思う。
「日本は豊か」「中国や韓国に比べて、日本は安全…」「この日本を皆さんが築いてくださった…」、自分/日本の「過去の栄光を思い出す」とか、まぁJUST快適。

それに比べると、抗議運動、反対運動はだいぶ様子が違う。
真逆というか…

「自衛隊派遣反対!」「原発再稼働反対!」
「入管法改正反対!」「憲法九条を守れ!」などなど。

これらは「SUPER怒り」、「強~い自己主張」ですよね。

例えばこんな感じ。
「政府の見解・国会の議論で問題あり!」「野党・一部の人が抗議」
 ↓
「変えたい!」
 ↓
「少数意見で、主張が聞き入れられない」「まっとうな議論にならない」
 ↓(ループ)
「不満で怒ってしまう」
 ↓(ループ)
「少数意見で、主張が聞き入れられない」「まっとうな議論にならない」
 ↓(ループ)
*怒りが蓄積*
 ↓
「仕方なく、デモ行進するしかないじゃん」
「強く主張するしかないじゃん!」と想う
 ↓
「強い自己主張」の抗議・反対運動へ!
~ ~ ~

ということで
「変えたい!」という目的で始まった運動が
「強く自己主張をしたい」と思う少数者の運動となって
残念ながら
現場は「怒りの感情を共有する仲間との一体感」も強くなり

大衆の支持を得ることなく、成果が出ず終わる」…
ということの繰り返しに。

今まで苦労されてきた諸先輩方に心から敬意を表しつつ
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