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クリエイターの生きざまが平穏であってたまるか

タイトルにこんなことを書きつつも、順風満帆な毎日を送りたいと天井を仰ぐ私である。とはいえ、「クリエイターにとっての順風満帆」が一体どういう状態なのかピンと来ていないから皮肉なものだ。

冒頭に「クリエイター」と書いたが、この先 私が考察を進めていくにあたって「カメラマン」と置き換えよう。

仮に、なにか大きな転機があって一躍仕事が舞い込みまくってくるとする。仕事に困らなくなるということは果たして本当に順風満帆だろうか?

生活に困らない程度の収入を得ていることが大前提ではあるが、仕事を求めてあがいているときよりも、スケジュールや提示条件と睨めっこした結果 提案を断らざるを得ないときのほうが気持ちは苦しいような気がしている。いつか私に助手を雇える懐ができたとして、自分の手に負いきれない案件を助手に任せられるかというと、それも違う気がする。私自身が手がけてみたい案件をみすみす逃すということが割と大きなストレスになるような予感がするのだ。

世の中数多のライバルがいる中で、私が一度断った案件から再び私に対して提案が来るというのは余程の引きがないと起こり得ない。断りの連絡を入れるとき、一時的に不都合であった理由を書いてはいても、その先に起こりうる仕事の候補対象から外されるかもしれないというリスクまで計算した上で連絡を入れるので、非常に気力を消耗する。ただ、消耗したぶん優先した撮影なりプライベートなりが待っているので、常にそれを上回るなにかで自分の気持ちを奮い立たせてカメラを構えていると言っても過言ではない。


仕事の話、ひいては収入面が気になるのなら、サラリーマンとしてどこかの企業に所属して写真を撮れば、私に平穏が訪れるだろうか?いや、それはもっと険しい道のりだと察した。

自分の好きではないものはおろか、意に反するものまで完璧に魅せなければならない…その苦悩は前職で番組を作っていた時に嫌ほど味わった。退職に至るまでに相当エネルギーを費やしたのに、再び同じことを繰り返す度胸は私には残っていない。


それでは、ひとまずカメラマンとして名前が売れれば穏やかだろうか。実はこれも、もっと違う。名前の一人歩きという怖さを知っているからだ。

「こさいさんが撮ったと思いました!」というポジティブな一人歩きならともかく、「こさいさんに頼んだのにこの程度か」という、知られているからこその恐怖心が生まれるだろう。

ライバルは昨日の自分と言う言葉があるように、実績は積めば積むほど自分を脅かしかねない。ただし、この場合の恐怖とはより良いものを創り出していくにあたって必要な感情でもあるだろうし、撮影現場においては「緊張」あるいは「プライド」という形に変わって私の中に居座る、ある種の相棒のようなものであるとも考えられる。上がりゆくハードルに急かされるようにシャッターを切る。スランプを挟みつつもより良い作品ができるようになっていくと思いたいが、ただ並々ならぬ道だろう。その状態を平穏と言えるかどうかと考えると肯定するには少々戸惑いがある。


ここまで書いてふと気が付くのは、私は平穏が欲しくてカメラマンになったのか?と自問自答した。平穏が欲しければ、それこそ単純作業を繰り返せばいい仕事は世の中ごまんとあるはずだ。

いや、どうせ仕事をするならクリエイティブなほうがいい、クリエイティブの中でも少しでいいから自分が情熱を傾けられるものがいい、こうして話は振り出しに戻る。


宝くじが当たったとして、一生分の不労所得があれば私は楽しくカメラマンができるだろうか。一瞬これが正解かと思ったが、深堀すると、働かなくてもいいぶん 今よりもさらに写真に没頭する未来が見えた。結果、やはり冒頭に戻る。

なるほど写真を撮り続ける限り、私に“定年”というものは無さそうだし、幸い今この地点で私も自ら望んではいなさそうだ。ということは頭が機能する限り、永遠にこの焦燥感に似た気持ちを抱えて死ぬまで平穏とはなにかと模索することになるのだろうか。


クリエイターの生きざまが順調であってたまるか。
私は私に言い聞かせて、自分の腑に落ちるまで写真を撮り続ける。

2020/08/31 こさい たろ

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